コラボから生まれる新しい取組み(神奈川県聴覚障害者福祉センター 熊谷徹施設長・佐藤育子さん)
藤沢市藤沢にある神奈川県聴覚障害者福祉センター。昭和55年に設置された日本で2番目の聞こえない人たちのための施設です。設置当初から重要とされた相談事業をはじめ、聴覚障がい児者の支援や教室、手話通訳者・要約筆記者の派遣や養成、ビデオライブラリーなど幅広い事業を展開しています。そして、今年度、他の機関とコラボする新しい動きが始まりました。聴覚障害者福祉センターの熊谷徹施設長と佐藤育子さんにお話を伺っています。
「聴覚障害者福祉センター」ではどのような事業をおこなっていますか?
聴覚障がい児の指導やコミュニケーション教室、聴力検査・補聴器の適合、相談事業をはじめ、手話通訳者・要約筆記者の養成や派遣をおこなっています。珍しい事業としては、ビデオライブラリーといってビデオテープの貸し出しをおこなっています。自主企画作品の制作などもやっているので、ここのセンターには設置当初からスタジオがあるのです。
スタジオがあるのですね?
センターが設置されたのは昭和55年で、その頃、テレビには字幕もなく、手話通訳者が出ている番組も1つあったかどうかという時代。しかも、放送は、週に1度、わずか30分程でした。ドラマを見ても、表情や動き、口の形を見て、想像をするしかなかったです。
(熊谷施設長は、1歳の頃から重度感音性難聴があります)
そういう時代背景もあり、ニュース番組で伝えるような情報を、センターのスタジオで手話にして撮影し、独自のニュース番組のようなものを作り、貸し出しをおこなっていました。
情報は遅くなるのですが、それでも情報がないよりは…と設置当初から当時の職員が取り組んできました。今は、伝えるべき最新の情報などを職員が考え、撮影したら、即日で動画をホームぺージにアップし情報発信をしています。
このセンターが設置されたのは「情報提供」のためでしょうか?
もちろん、その目的は大きいのですが、聴覚障がいのある方が気楽に集まれる場所をつくるという目的もありました。昭和55年当時、ろう者同士で話せる場がなく、手話サークルが終わった後に、ろう者が喫茶店に集まっているという光景が各地域で見られたそうです。
地域によっては、集まっている様子が煙たがられてしまったこともあり、そこから「ろう者の集まれる場が欲しい」という要望が全国的に出されるようになりました。その後、法律が整備され身体障害者福祉法第34条に基づく「聴覚障害者情報提供施設」として、このセンターは全国で第1号の指定を受けました。
懐かしいお話をすると、横浜駅西口付近の「白樺」という喫茶店に、ろう者は集まっていました。約束したわけではないけど、サークルや仕事帰りには「しらかば」に集まることが多く、気がつけば、店内がろう者ばかりという時間帯もありました。
多くの事業を展開する中、今年度はどのような新しい動きが始まったのでしょうか?
綾瀬市の公民館と一緒に、聴覚障がい者を対象にした講演会を実施することになりました。これまで聴覚障害者福祉センターが主催する講演会やイベントはあったのですが、公民館などの他機関から開催に向けての相談を受けて「イベントをサポートする」という形で進めてきたのは初めてです。
きっかけは何だったのでしょうか?
2021年6月頃、綾瀬市の公民館の館長さんからセンターへ電話がありました。お話を伺うと、公民館で開催する講座に聴覚障がいの女性が参加されたそうなんです。聞こえないことが分かったのも当日で、その日は、その方と一緒に来られた方が筆談で内容を伝えていました。その姿を見て「聞こえない方がもっと気楽に参加できるような講座にしていきたい」「むしろ聞こえない方限定のイベントを開催したい」と思われたのだと。
どちらかというと、聴覚障がいの方が参加されると、手話通訳をつけるべきなのか、どう対応したらいいのかと焦ってしまうケースが多いのですが、館長さんは違いました。「聴覚障がいのある方向けのイベントを開催したいが、何も分からないから、詳しく教えてほしい」と、熱い想いがそこにあったのです。
聴覚障害者福祉センターはどのような関わりをしてきたのですか?
館長さんの想いを伺い、企画から一緒に取り組んできました。どんな企画がいいか、ろう者を講師に呼ぶのはどうか、聴覚障がいをテーマにした映画『笑む』の上映会はどうかなど話し合い、今に至ります。
公民館は公民館としての専門性を、私たちは「聴覚」に関するプロフェッショナルという専門性を出し合いながら、進めてきました。
大切にしていることはありますか?
聴覚障がいのある方へのイベントをやることで、「気づき」が生まれたらいいなと思っています。
きっと公民館の皆さんも、聴覚障がいのある方が50人集まる姿は見たことがないと思うので、あっけにとられてしまうと思うのです。困った状況をわざとつくるわけではないのですが、普段だったら「少数派」と呼ばれる聴覚障がいのある方が大勢集まり、マイノリティといわれる方々のほうが多い環境、日常と逆の立場になれる経験はとてもいいなと思っています。
テレビ電話に映る遠隔地の手話通訳者を介して、ろう者とコミュニケーションを取る経験をしていただき、今後の公民館運営でも、筆談や身振り、指さしなどで、いろいろな方法でコミュニケーションが成り立っていったら素敵ですよね。
こういった事業は、藤沢市など他の地域でもできるのでしょうか?
もちろんです!
藤沢市内にこういった施設があることを知らない方も、なかなか、センターに辿り着いていない方もいるなと感じています。なので、多くの企業や団体の方とつながっていきたいですね。
今回の企画を機に、一緒にやることで、それぞれ持っている力を出し合い、良い形が生まれて、それが波及していって…という流れが作れたらなと思っています。
センターとして、今後どのように活動していきたいでしょうか?
「多様性」という言葉のように、聴覚に障がいがあっていても、そのままで生きられる社会をつくっていけたらと思います。社会が変われば生きやすくなるし、障がいを感じない環境がつくれると思うのです。徐々にでも変わっていくことで、社会に生きるすべての人が楽しくて、それぞれのコミュニケーションの幅が広がるようになるのではと。
私自身も手話通訳等をしながら、いろいろな方と出会い、対話し、意見をいただき、みんなで高め合っているという実感があります。これからも真摯に仕事と向き合い、そういう仕事を果たせればいいのかなと思っています。
聴覚障がいのある方、その家族、聴覚障がい者に関わる方々が、誰一人として取り残されない社会を作っていくことが、私たちの責務だと思います。これはSDGsの中のひとつでもありますね。100%いい報告はできないかも知れないけど、そのときそのときのベストを尽くし続けなければいけないと思っています。
インタビューを終えて
マイノリティと呼ばれる方々のほうが多い環境…。ふと、以前、全日本ろうあ連盟創立を記念した映画「咲む」が藤沢市で上映されたときのことを思い出しました。
中心になって動いている実行委員の皆さんは聴覚障がいのある方々だったので、当然使われる言語は「手話」。音声言語しか使えない私はマイノリティであり、その空間で何かを伝えるためには、必死に拙い手話を駆使し、申し訳なく、身振り手振りするのです。
日常と違う文化の中に身を置き、初めて「日常と違う文化」という一種の偏見をもっていることに気がついたのです。「ともに生きる」を大切にできていると自負しておきながら、私は自然と、音声言語が当たり前であると思っていて、その環境の中でも聴覚障がいの方が生きやすいように工夫せねばと思っていたのです。
それぞれの「当たり前」や「日常」を知ることがどれほど大切か、私たちの見ている社会や文化は誰から見たものなのか…センターの新しい取組みで、多くの方の価値観が広がっていったらいいなと感じました。