インタビュー

「聞こえない」で終わらないコミュニケーションを(聴覚障害者福祉センター施設長 熊谷徹さん)

藤沢駅北口から徒歩10分に位置する神奈川県聴覚障害者福祉センターへ伺いました。施設の中では職員の方々が日常的に手話を用いながら会話をしています。施設長を務める、熊谷徹さんは聴覚に障がいがあります。1歳の頃、高熱が原因で聞こえなくなりました。日頃から補聴器はつけていません。IT企業に勤めたのち、5年前からセンターの施設長になりました。聴覚障害者福祉センターの熊谷徹施設長にお話を伺っています。

熊谷さんは重度感音性難聴とのことですが、聴覚障がいには種類があるのですか?

そうですね。聞こえにくい方や補聴器をつけると聞こえる方、機能的に全く聞こえない方など、さまざまです

障がい者雇用等で、人事の方に「聴覚障がい者にどう対応するか」と聞くと「大きな声で対応します」という方がいるのですが、実は聴覚障がいには種類があるので、ほとんど聞こえない方には、大きな声で話しても振り向くことすらできない場合があるのです。

大きな声が有効な方、補聴器が有効な方、全く聞こえないから手話で生活している方など、いろいろな状態の聴覚障がいのある方がいるのを知ってもらいたいですね。

熊谷さん
熊谷さん

「聴覚障がい=手話」というわけではないですね?

そうですね。難聴の方であれば、耳の近くで話すことで聞こえる場合も多いので、手話の技術がなくてもコミュニケーションが取れます。また最近は、簡単にスマホで音声を文字にすることができるので、手話を普段から使う人も、手話を使えない方と文字でコミュニケーションがとれるようになりました。今では、何も絶対に「手話」というわけではなくなっています

企業からの印象も「視覚障がいのある方を雇用するのは大変な気がするけど、聴覚障がいなら補聴器や筆談で何とかなる」と思われがちです。でも、実際に2~3年経つと、聴覚障がいのある方と働くのは大変…と気づく方が多くなります。「聞こえる」「聞こえない」だけではない大変さがあることをお互いに感じるようになってくるのです

熊谷さん
熊谷さん

企業の中で働くときに、どんな大変さや困ったことがありましたか?

困った場面はたくさんありました。IT企業に入ったのが昭和の終わり頃だったので、コンピューターが普及し始めた時期でした。会社の中でもITに関する勉強会が何度も開催されたのですが、そのときに講師の言っていることが「すべて」は分からないのです

会議も同じでした。ものづくりをする職場だったのです、会議で決まった内容をもとに進めるので、会議の内容をきちんと理解していることは必須でした。

「だいたい、分かった」では、ミスにつながります。聞こえる方だけで商品をつくるわけではないので、私だけがきちんと理解できないままに進めてしまうと、周りの方に迷惑をかけてしまうのです

ではどうしたらいいか…これは私一人が考えることではなく、職場みんなで考え、環境づくりを見直していくことが必要でした

熊谷さん
熊谷さん

そのとき熊谷さんはどうしたのですか?

勉強会は、聞こえないので「意味ないな」と思い、放棄して職場に戻りました。すると、上司が「何で戻ってきたんだ」と怒るのです。そこで事情を話し、このままだと意味のない時間を過ごすことになるから、手話通訳者を呼んでほしいとお願いしました。当時は手話通訳者の派遣制度も始まったばかりでしたが、そこから、職場の勉強会では手話通訳者がつくようになったのです。

会議は、私が情報を得るための方法について話し合いがあり「ぜひ手話を覚えて欲しい」と提案しました。「筆談は、私だけでなくあなたも書かなくてはいけない。書くとなると長時間かかり疲れてしまうし、書くとなると、話すときよりも情報量が減ってしまう。活発な会話ができるよう、手話を覚えて欲しい」と伝えたのです。そこから、職場では週1回の手話指導が始まり、徐々に手話が導入され、手話での会議が実現するようになりました

ただ、職場には異動があります。異動のたびに「手話を覚えて欲しい」て言い続けましたが、これがなかなか大変でした。ただ、IT企業を退職した5年ほど前には、技術も進化し、パソコンのチャットツールを使って会議ができるようになっていました。チャットツールは誰でも使えるので、簡単に会議に導入できました。今の時代は、チャットツールを利用する聴覚障がい者は多いと思います

熊谷さん
熊谷さん

いろいろなツールがありますが、それでも『手話通訳』があるとないでは違いますか?

大きな差があると思います。手話は、生活上必要なものだと思います。
先日、病院で医師と話をするときがあったのですが、そういうときには手話通訳に来てもらいました。以前は筆談でやりとりをしていましたが、筆談だと情報量が格段に減ってしまうのです。

それに、お互いに書くのが大変になってしまって、会話も簡単な内容で終わってしまうことがあります。手話通訳がつけば、当然、情報量が多くなります。コミュニケーションの量も多くなりますので、違いは歴然です

熊谷さん
熊谷さん

地域の中でも、手話ができる方が増えるのは重要でしょうか?

それは最優先のことではありません。もちろん、手話をできる方が増えるのは嬉しいし、大切なことだとは思います。しかし、手話ができなくても、コミュニケーションは取れるのだと知ってほしいですね

手話ができることよりも、コミュニケーションを取り合えることが大事。筆談でもいいし、方法はいくらでもあると思うのです。

熊谷さん
熊谷さん

補聴器をつけていると「聴覚に障がいがあるのかな」と気づくのですが、熊谷さんは補聴器をつけていないので、一見「聞こえない」と、思われないような気がするのですが…

そうなのです。私を見ただけでは、聞こえるか聞こえないか、分からないので、当然、話しかけてくる方がいます。ただ、相手の顔が固まるのです。

反応がないからでしょうか?聞こえる方であれば、何か声をかけられたら、振り向いたり、何か反応したりするのだと思うのです。私の場合は、話しかけても内容が分からないから、あれ?聞こえないのかしら?拒絶されているのかしら?と困ったような固まる表情をされるときがあります

そういうときは「私は聞こえない」と何か示さないといけないのです。耳を指さして、手を横に振るジェスチャーを出したり…。聞こえないと分かると、そこでコミュニケーションは途切れてしまうのです。そのまま、何のリアクションもなく、どこかへスーッといなくなってしまうこともあって…それは寂しいことですね。

熊谷さん
熊谷さん

ともに生きるために必要なことって何だと思いますか?

難しい質問です。ともに生きるためには、気持ちや考えでは足りない面もありますね。気持ちをもつだけでなく、何か行動に移して表現してほしいと思います。

「聴覚障がい者がいる」という理解だけではなかなか進まないのかなと思っています。その想いを行動に変えて示してくれることが必要なのかなと。これは「手話」ができるようになってほしいという意味ではなく、まちの中にいて「コミュニケーションが取れない」と去ってしまうのではなく、何かしら、できる範囲で表してほしいなと思うのです。

手話ができなくても、こちらが「聞こえない」と身振りで表現したら、筆談で何か書いてくれるとか、または、スマホに文字を入力して見せてくれるとか、方法は何でも良いのです。「他の人に聞いてみる」「わかった」などの身振りでもいいですしね。それが「ともに生きる」ということだと思いますね。

熊谷さん
熊谷さん

インタビューを終えて

「あ…聞こえないのだ」と気づいて、そのままスーッと去っていくという光景が何ともリアルに想像できました。悪意はなく、ただ単に「聞こえないんだ。では、他の人に聞こう」ということなのでしょう。嫌っているわけではないけれど、関わってはいない…同じ社会を共有はしているけど、ともに生きているわけでない

その何ともいえない「ともに生きる」錯覚が、社会の中にあるように思うのです。少し体温より低いその温度は、何でしょうか。

これは聴覚障がいだけでなく、いろいろな場面で存在しています。「あなたは目的の人ではなかった」「私とは関係のない人だから、目に入っても見えない」その少し低い温度が、もう少しだけ温かさを増すとき、はじめて「ともに」という言葉に意味が生まれてくると思うのです。熊谷さんの話してくれた「行動に移す・表現をする」ということを大切にしたいと思いました。

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WRITER

小川 優

大学で看護学を学び、卒業後は藤沢市立白浜養護学校の保健室に勤務する。障がいとは社会の中にあるのでは…と感じ、もっと現場の声や生きる命の価値を伝えたいとアナウンサーへ転身。地元のコミュニティFMをはじめ、情報を発信する専門家として活動する。

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