インタビュー

「おーい」と呼べる距離にあなたがいる、在宅医療(川見 聡さん・八千代さん)

「もう最後かも」という言葉を何度も越えて、今がある川見聡さんクローン病パーキンソン病を患い、日常的に医療的ケアを受けながら、奥様の八千代さんと在宅で暮らしています。2020年10月から体調の悪化を繰り返し、在宅での生活に葛藤もありました。けれど入院中、最初に話した言葉は「うちに帰りたい」。病院が嫌だから家に帰る、ではなく、声が届く近さに大切な人がいて、ただ呼んだだけと何気ない会話ができる良さ

「失ったものも多いけど、これで得たものもある」そう話す、八千代さん。同じ世代のご夫婦で、二人で会話をする時間を毎日取れている方は、どのくらいいるのでしょうか。八千代さんが働き続けることは、聡さんが望んでいること。お二人にとって、大切にしている「今」は何なのか、お話を伺いました

八千代さんの「在宅」への想い、聞かせてください。

私が在宅にこだわった、最初の理由は、誰かにお願いをすると経済的にもお金がかかるということでした。身体は楽だけど、そこに、それだけのお金を使えるかというと、そうではなかったのです。あとは、私自身も介護の仕事をしているので、施設の中にいると、どうしても「自由」にならないことがあるのも知っている…そう考えたときに、彼の性格を考えると、全面的に預けて生活するのではなく、家で自由に生活してほしいなと思ったのです。

実際は、家にいるからといって「自由」にできるわけではないけれど、食べたいときに、食べたいものが食べられるかなと。もともと、彼は家が好きなタイプだったので、家にいさせてあげたいなと思ったのです。

「在宅」というと、必ず家族の誰かがそばにいて、見守って…というイメージがあるかも知れませんが、今はそうではなくなってきています。だけど、在宅を選ぶと決めると「マンパワーは大丈夫か?」と聞かれることも多く、介護できる家族が家の中にいることが、まだまだ大前提になっているのですよね。

八千代さん
八千代さん

そのイメージがありますよね。川見さんのお家はどんなスタイルで生活されているのですか?

私には、私の人生があるし、経済的にも支えていかないといけない。なので、私が働きながら、在宅でのケアができる体制を探していったのです。ずっと二人で一緒にいられるのなら、仕事を辞めてもいいのかも知れないけど…いつか、この時間が終わったときに、自分に何も残らなくなっちゃうのも嫌だったし、私だけでなく、彼も望んでいなかったのです

結婚した頃は、まだ介護が必要な状態ではないけど、クローン病という病気は分かっていました。「自分がいなくなったときにも、一人で生きていけるように、糧になるような働き方をして欲しい」そう言われてきました。それもあり、私たちの在宅での生活は「働きながら」というのが大事でした。

でも、これは結構ハードルが高くで、自分の勤務をどう整えていくのか。平日は往診の先生が家に来る、もし何かあった時にすぐに帰らせてもらえる体制、時短勤務に変えられるか…いろいろと職場にお願いを聞いてもらって、ここまできました。辞める覚悟もありながらのお願いでしたが、職場の理解もあり、今こうして、働き続けています。本当に恵まれています。

八千代さん
八千代さん

そうすると、聡さんがお一人で、家にいるということもあるのですよね?

そうです。うちの場合、介護保険と医療保険が使えるので、ケアマネジャーさんが調整してくれて、訪問看護ステーションを2箇所利用し、ヘルパーさんにも入ってもらっています。日中と夕方に看護師さんが2回来てくれて医療的ケア、そして、週2日ヘルパーさんが来てくれています。多くの方のサポートを使って、環境が整い「在宅」が成り立っている。これが特殊な環境なのか当たり前なのかは分かりませんが、こういう方法もあると、医療の選択肢が増えたらいいなと思っています。

ただ、家を出るときに、何も気にしていないわけではなく、玄関を閉めると後ろ髪をひかれる思いになりますし、帰ってきたときも「元気でいるかな?」「倒れているんじゃないかな?」と不安になります。それでも、夫婦がお互いの時間を大事にし、普通に家で暮らせる…これは本当にありがたいと思っています。こういう在宅での暮らしもあるということを知らない方もいると思うし、訪問看護ステーションを2つ使えるということも知らない方がいると思います。緊急時のことも考え、ちゃんと支えてくれる方がいて、私たちの今の「暮らし」は叶っているのだと、日々感謝です

八千代さん
八千代さん

このノートは何ですか?

これに1日の様子が書かれています。ケアの引継ぎも書いてありますが、毎日の日記みたいな感じですね。私が仕事から帰ってきたあとは、ここに帰ってきてから、次の朝までの様子を書いて、次に看護師さんが書いてくれて…1日1ページで、彼の様子が書いてあります。これを見ると、自分がいない時間に「こんなやりとりしていたんだな~」と知ることができますし、ご飯全部食べたとか書いてあると嬉しかったり。私には言えないことを言っていたりするのです、「パンダ体操はしないよ」とか(笑)

八千代さん
八千代さん

在宅の方が、二人の時間って増えますよね?お二人でいる時間は、どう過ごされているのですか?

二人の時間は在宅の方がはるかに増えますね。今は本当に、二人の時間を大切にしています。もう少し元気だったときは「仕事が休みの日のうちに、1週間の食事の支度を全部やっておかないと」とか「この日のうちに、買い物を全部しておかないと」と、そういうことに振り回されていました。

今は「夕飯どうする?」「別にいい」「じゃあ、お菓子でもいっか?」という日があったり、ご飯を食べずに、ずっと夜まで話す日があったり…時間の使い方が変わったかなと思います。変わったきっかけは、誰かに「今の時間を大切にしたほうがいいよ」と言われたんです。これまでは「完璧な介護をしなくては」「手作りでこれを食べてもらいたい」など、ある意味、自分の自己満足のように家事の時間を使っていました。「それだけに時間を使っていると、本当に、今でないと過ごせない時間を逃しちゃうよ」、実際に体調が悪くなり始めた頃に「あーそうかな」と思えてきたのです

「マックが良いっていうからマックでいいや」とか、ノートを見ると「カップ焼きそばが食べたい」て昼間に言っていたみたいだから「カップ焼きそばにする?」とか。完璧なものを作る時間よりも、カップ焼きそばを2つ買ってきて、二人で一緒に食べたり、そういう時間を大事にしようかなと思っていますね。病院の先生からも、「食べたいものを食べられるときに、食べられるだけ食べたほうがいいよ」って言ってもらえたのも大きいですね。

八千代さん
八千代さん

結婚されて、何年になるのですか?

34年目です。今回の退院の1ヶ月後に、ちょうど結婚記念日があって、お祝いしてもらいました。クローン病は結婚する前から分かっていたので、親の反対などもありました。ただ、そのとき、お世話になった先生から言われた言葉が「何が不幸で、何が幸せかは、周りの人が計るものではないからね」と。その頃は普通に暮らしていたし、食べものを少し気にするくらいかなと思っていました。ストマが必要になったあとも、自分で管理して、ストマ装具の発注をして、受診して…。

今振り返ると、いろいろな時期に、彼は大切なことを言ってくれているのです。結婚当初の「自分がいなくなったときに、一人でも生活できる糧になるような働き方をして欲しい」もそうですし、2000年頃には、急に「これからは、車の運転とパソコンと介護だ」と言い始めたのです。当時ペーパードライバーだった私に運転を教えてくれたり、ちょっと遠くまで練習でドライブに出かけたり、パソコンも彼はもともと詳しい人だったので教えてくれて、介護福祉士の資格を取るときも「その管轄は県だな!」など一緒に勉強していました。今思うと、その一つ一つが、今とつながっていて、不思議だなぁと思うのです

八千代さん
八千代さん

その頃は、今の体調とは違うってことですよね?

2000年頃はクローン病だけだったので、何でも自分でやっていましたね。パーキンソン病になったのは、2010年頃でした。

急激に体調が悪くなってきたのは、2020年10月です。10月に転んで頭を切って縫合してもらって、肩の骨も折れているかもと病院へ行ったら、血圧が低くて動けなくなってしまって、入院になりました。そこから1か月ごとに、目まぐるしく体調や状態が悪化した感じです。11月には食事が摂れないことで、CVポートを入れることになりました。本人としては、ポートからの感染で何度も命が危なくなった経験があるので、ポートを入れるのは嫌だったのですが、そうも言っていられず。その矢先、再度、腎機能悪化で入院。一度、在宅に戻ったのですが、自分でポートを抜いてしまって、さすがに、家に一人でいるのは難しいってことになったのです

一時的に、看護小規模多機能型居宅介護(看多機)を利用していた時期もありました。年を明けたくらいでしょうか、看多機で熱を何度も出すようになって…その月の終わり、2021年1月25日の救急搬送では、細菌性髄膜炎の診断で「あと2日くらいです」って言われたんです。あ…いっぱい乗り越えてきたけど、今月で終わっちゃうんだって思いましたね。ただ、奇跡的に抗生剤が効いたのか良くなり、でも、その後に誤嚥やポート感染の疑いもあり、栄養を摂る方法をPICCに切り替えました。やっと4月末に退院したのですが、6月にはPICCが抜けてしまい、再び髄膜炎疑いで入院…。そして、退院後、今度は誤嚥性肺炎で7月末に入院。8月上旬に退院し、今日って感じですね。「もうダメなのかな」を何度も乗り越えて、今、生きてくれています

彼は本当に恵まれていて、その時々に助けていただける方に巡り会えて、早い段階でいろいろな治療を受けられているのです。今の訪問看護もそうですね。すごく同じ想いで、在宅での生活を大切にしてもらっています

八千代さん
八千代さん

八千代さんにとって、聡さんは?

よく「空気みたいな存在」っていうじゃないですか?最近は、あれが何となく分かってきました。

家にいると正直大変なんです、寝る時間も少なくなるし。いなければ、好きなときに寝て、好きなときに起きて、好きなときに食べてって何でもできるし、いくらでも外にお茶をしに行くこともできる…ただ、なぜかそんなに行きたくならないんです。帰ってくると大変なのだけれど、でも、いるだけで安心する。やっぱり長年一緒にいるからなのかな…。

1日の中で一番安心できて幸せを感じるのは、帰ってきたときに、笑った顔が見られるときですね。今日も一日、みんなに助けてもらって無事に生きていられたんだって感じます。あとは、彼、しょうもない話をするんですよ。それを聞くのも楽しみですね

ベッドの上に、私も向かい合うように座って、よく一緒に過ごしています。ちょっと隣の部屋で仕事をしていても、呼ぶんです。だから、結局、ずっと一緒に話してたり、ゴロゴロしていたり、何をするわけでも、何を言うわけでもないのですが、いると安心しますね。「やこ、やこ」とか「おーい」とか、よく呼ばれます。

八千代さん
八千代さん

聡さんにとって、八千代さんは?

インタビューをすると、ニヤと笑いながら「…怖い女だよ(笑)」と冗談をいう聡さん

八千代さんが「小川さんが二人の時間いいですねって言ってくれてるよ?どう?」「私、優しいですか?」と聞くと、口元を笑わせながら、返事をしない聡さん

そのやりとりに、お二人が積み重ねてきた、たくさんの時間を感じました

病院から退院するときに、看護師さんが在宅での希望を聞くと「妻がいるだけでいい」と言われたそう。八千代さんと二人のときには「ありがとう、ありがとう」と言っているそう

聡さん、お家って「自宅」というただの場所ではなく、「大切な方が近くにいる場所」ということなんですね

インタビューを終えて

おふたりの写真を撮らせてくださいといった瞬間に、腕を大きくあげて、八千代さんを抱き寄せた聡さん。「そうやってくれるの?」と八千代さんが言うと、笑顔を見せていました。私たちはどこか介護を受けたり、看護を受ける方を見ると、支えられている方という印象があるかも知れません。

でも、そうではないですね。八千代さんが、いつか淋しくならないように仕事を続けることを勧める姿や、人生のいろいろな転機に寄り添い、そして今も、聡さんにとって、八千代さんは守りたい大切なものであることを、カメラのシャッターを落としながら、感じました。

「おーい」と呼べる距離に、一緒にいたい方がいる。これが在宅医療であり、家で暮らすということなのだと思いました。

こうあるべきという夫婦像や家族像があるわけではないけれど、今お二人が大切にしている時間は、確かな「今」であり、「一緒に過ごす」という本質を感じました。

私たちが思う「在宅医療」ってどんなものでしょうか?

できること、できないこと、地域や環境によるところもあります。

在宅が良い、病院が良い…という話でもなければ、正解も不正解もありません。

ただ、選択したいものを選択できて、大切なものを大切にできる「今」に少しでも近づけたらと、そう願うばかりです。

今回、市内の「在宅」で暮らす、お二人をご紹介くださった、ゆいまーる訪問看護ステーションの吉原さん、ありがとうございました。

WRITER

小川 優

大学で看護学を学び、卒業後は藤沢市立白浜養護学校の保健室に勤務する。障がいとは社会の中にあるのでは…と感じ、もっと現場の声や生きる命の価値を伝えたいとアナウンサーへ転身。地元のコミュニティFMをはじめ、情報を発信する専門家として活動する。

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