インタビュー コラム

楽しむために、生まれてきた(女優・タレント 奥山佳恵さん)

藤沢市内在住、明るい笑顔で元気なパワーを与えてくれる、女優でタレントの奥山佳恵さん。以前取材をさせていただいた、日和の渡邊由紀さんからのご紹介で、インタビューをさせていただきました。

ダウン症の子を育てるお母さんでもあり、著書「生きてるだけで100点満点!」やブログ「奥山佳恵のてきとう絵日記」では、なんてことのない「普通の生活」と、ご家族の話を綴っています。出産後、次男の美良生(みらい)くんがダウン症であることが分かったという奥山さん。「お腹にいるときに彼の個性を知っていたら、私は生めただろうか」と、ありのままの想いを語ってくれました。

長男の空良(そら)くんに続いて、次男の美良生くん。ダウン症だと分かったのは、妊娠中ではなかったのですか?

出産後でした。ありがたいことに、私も旦那さんも、お互いの両親も、長男も、病気とは無縁の家庭でしたので、障がいとも縁がないように感じていたのです。健康である自負もあり、自宅出産を選びました。自宅出産できる条件はいろいろとあり、言葉は悪いのですが、彼の個性が誰にもバレなかったため、自宅での出産を迎えられたのです

まず衝撃だったのは、美良生は、心室中隔欠損症でした。心臓に穴が開いていて「健康」である以前に生きられるのかという大きなショックがありました。心臓に穴が開いている子は高い割合で、染色体に異常があると聞き、そこから染色体検査をし、ダウン症候群だと分かったのです。

彼が生まれてきてから、日が経てば経つほど、彼の隠し持っていた個性がひとつずつ明らかになり、そのたびに彼の診察券がひとつずつ増えていくような日々でした。

奥山さん
奥山さん

構える間もなくダウン症と出会い、そこからどのように向き合っていったのでしょうか?

段階を経て、ショックが大きくなっていきました。最初は、心臓が気がかりでしたが、手術も無事に終わり命が守られると、今度は一生付き合っていく「ダウン症」というものが大きくなりました。

不安の中、向き合えたのは、彼の匂いです。障がいのあるなしに関わらず、匂いは同じで、赤ちゃんのいい匂いがするのです。それもあって、次男を抱っこするたびに幸せでした。ただ、彼から離れると「不安」がやってくる、その浮き沈みの毎日でした

心の波を落ち着かせるためには、なるべく美良生のそばで過ごし「可愛い」と思う私の本能を自分でしっかりと逃がさないように掴みました。そして、いろいろな人に彼のことを伝えるようにしました。まだメディアを通じて伝える前でしたが「私の子どもは障がいがあって、ダウン症なのだ」と言いながら、自分にも言い聞かせる。自分の言葉を自分で聞きながら毎回ショックを受けるのですが、人に伝えることで自分に言い聞かせ、ぐらついたら彼のもとに戻る、その繰り返しでした。

奥山さん
奥山さん

美良生くんの個性を知る人が、身近に増えていったんですね。

ただ、どうしても言えなかったのが母でした。すごく仲の良くて、いつも笑ってくれている母なのですが、その母に「うちの家系に障がいのある子はいなかったのに」など、もしこの子や私を否定するようなことを言われてしまったら、今まで積み重ねてきた頑張りがすべて崩れ、立ち直れなくなると思ったのです。なので、告知が一番最後になってしまいました。

最後の最後で母に言えたとき、母は、私が思っていたよりも大きな愛で私たち親子を包んでくれました。母が初めから分かっていたのでしょうね。「認められなかったらどうしよう」なんていうのは、私の中のちっぽけなことでした。それに気づいたとき、私はこの子のお母さんでいていいのだとやっと心から思えて、そこで初めて「障がい児のお母さん」になれたように思います

奥山さん
奥山さん

育ててくる中で、美良生くんへの環境をどのように整えていったのですか?

美良生の成長過程は、完全オリジナルでした。ダウン症の子の特徴で、ゆっくり大きくなっていくとあるのですが、同じダウン症でも一人ひとり差があるんですよね

なので、比較対象がいない。逆にそれが私たち両親にとっては楽でした。子育てってどうしても比較してしまうことがあって、本当は比較しても子どもは成長しないし、誰も幸せにならないけど、うちの子は…あの子は…って。美良生の場合は、彼の成長だけを見ていればよく、彼のオリジナルに合わせる子育ては、逆に焦りがなかったです

彼の良いところを伸ばしてあげようと思っても、何をやっていいか分かりませんでした。なので、あっちこっち、私の好きなところに連れて行ったんです。彼もマイペースなので、私もマイペースでいいや!と、療育に一生懸命になるよりも、私自身が好きなように楽しみました。いろいろな場所に出ていったことで、意図せず、地域の方に美良生のことを知ってもらえたのです。あ…これはこれで良かったなという結果論です(笑)

奥山さん
奥山さん

もともと学校は普通級に行こうと思っていたのですか?

最初は、支援学級に行く予定でした。療育型の幼稚園に通い、就学相談を受け、ダウン症の子たちの多くが選ぶであろう道を私たちも進むと決めていたのです。それが世の流れだろうなと思っていました。

入学を迎える半年前の10月頃、大きな出会いがあり、すべてをひっくり返して、普通級に進むことにしたのです

それは、藤沢市でインクルーシブ教育を推奨している先生方との出会いでした。たまたま、美良生が支援学級に進むという話をしたら、その先生方は「地域の子は地域の学校に行って、みんなで一緒に育っていけばいいのよ」と話してくれたのです。そこで、普通級に…と思い立ち、長男が行っていた地域の学校の校長先生に、普通級で入学したい旨のお手紙を書きました。そして、普通級に入学し、今では小学4年生になりました

奥山さん
奥山さん

普通級に通う美良生くんはどうですか?

少人数制の手厚い療育の幼稚園で育ってきたので、環境は大きく変わりました。

入学式のときは、バッファローの群れのような子ども達がどーっと去ったあとに、そのサバンナの奥からぽつんと、眼鏡が半分ズレたうちの子が現れるのです。その姿を見て、本当にこれで良かったのかなと思いました

ただ、いざ通い出してみると、その気持ちは一変しました。クラス30人の中には、美良生だけでなく、いろいろな子が在籍しているのです。外国つながりの子もいれば、身体的に特徴がある子もいるなど、本当にさまざまでした。大人は「障がいのある」とその人を見てしまうのですが、子どもたちは「障がい」という概念がないのか、ダイレクトにその人を見ることができていました。「障がいのある美良生くん」ではなく、「美良生は美良生」と個性をそのまま認めてくれた感じがしました

よく「美良生くんは、デキの良い子だから、普通級に行ったんでしょ?」と言われることもあるのですが、そうではありません。入学当初はランドセルも開けられませんでした。できることをいろいろ模索したのですが、できないことだらけで、字も書けないのです

できない子が普通級にいってどうなるんだろう…と不安に思いましたが、今では、週に1回、友達が自宅に遊びに来てくれて、ごちゃまぜで遊んでいます。子どもは天才だなと思うのが、遊びの中で、その瞬間に美良生が一緒に遊べるルールを作ってくれるのです

奥山さん
奥山さん

ちなみに、どのようなルールなのですか?

たとえば、美良生バージョンのドッジボールがあります。「美良生は相手の陣地に入ることができる」というルールなのですが、そうすると、子ども達が美良生を使って有効的にゲームを進めていくのです。一緒に、楽しみながら、自然に。

最近は、学校でリレーをやっているそうなのですが、パワーが有り余っている友達が「俺が美良生の続きをやる!」と名乗り出てくれるのです。みんなが校庭を1周走るところ、美良生のペースは遅いので、1/4で免除されるのですね。で、残りの3/4をその子が走る。嫌々ではなく、楽しくアイデアが出てくるのです

入学してから4年間、遊びの中から自然と育まれた「美良生ルール」を生み出す能力が、いろいろなアイデアにつながり、これが「地域の中で、みんなと一緒に育つ」ということなのだなと思います

みんなで楽しめるルールを作れるのは素晴らしいことで、子ども達のその能力を大事にしたいなって思います。私の生きているうちに見たい夢は、普通級・特別支援学級・特別支援学校という枠組みがない「学校」が一つになる景色です

奥山さん
奥山さん

「障がい」って何でしょうね?

障がいという言葉に引っ張られてしまいますが、みんな、どこかしら凸凹だと思うのです

私も至らないところがいっぱいあり、できないことだらけです。みんな、凸も凹も持っていて、それぞれの不揃いな形を活かしながら、私はこれができます!でもこれはできないです!を補い合える世の中になったらいいなって思います。

リレーも、美良生の代わりに走ることを嫌々やるのではなく、走るのが好きだからやる、得意で楽しめることで補い合う…みんなで楽しめる方法なのですよね。この方法ができれば、すべての大人も子どもも、生きやすくなるんじゃないかなって思うのです

私は料理が本当に苦手で、夕方6時になると毎日憂鬱になるのです。「本当にお腹空いているの?」って家族に確認して「そっかぁ、やっぱり、お腹…空いてるか…」と(笑)。絵を描くことはすごく好きなので、一日中、描いていられます。この絵が食べれたらいいなって思うくらいです(笑)

奥山さん
奥山さん

美良生くんから教えてもらうこともありますか?

「できない」に焦点をあてるのではなくて、この子の「できる」を見ると、本当にハッとさせられることがいっぱいあります。彼は自己肯定感も高いし、何より毎日楽しく生きているのです。それを見ていると「そうだよね、人は楽しむために生まれてきたよね」と再認識させてもらいます。

彼は毎日ハッピーで、今朝は起きた瞬間に「おはよう!かわいいね、大好きだよ」と私に言い、ほっぺにキスまでしてくれました(笑)

約10年前に今寝起きをしているベッドで彼は生まれたのですが、心臓に穴が空いていて、しかもダウン症で、本当に育てられるのかと不安でたまらなかった、あの頃の自分に、同じベッドで「大好きだよ、可愛いよ」と起こしてもらえる朝がやってくるよって、伝えたいですね

できるできないはそれぞれあると言いましたが、私と次男は靴を揃えることができますが、未だに長男と旦那ができないのです。他の場面でも、長男や旦那さんができないことを、次男は楽々とできることもある。できるできないは、障がいがあるかないかではなく、結局は「人」なのだなと思っています

奥山さん
奥山さん

兄弟2人を育てる上で、意識していることはありますか?

空良と美良生は10歳離れているので、長男は子育てチームの一員として一緒に子育てに参加してもらっていました。「弟は障がい児だから、頼りにしてるよ」とは全く思っていなくて、共働きでドタバタしている両親と一緒になってやってきてもらった感じです。

将来のことも「私たちが先にいなくなるけどよろしくね」とは思っていないです。長男は長男の人生を謳歌してもらいたいし、次男は次男の人生を…と、そこは分けて考えています

2人とも20歳になったら家を出ていき、自立してほしいと思うのです。次男はいろいろな方の力を借りてという形になると思いますが、いつまでも、私たちのもとにいるのではなくて、それぞれの道を見つけて巣立っていってほしいなと。そのために、私たち両親は、毎日ご飯を作り、彼らの得意なことや好きなことを見つけられるようにし、そして応援すること…それくらいしかできないかなって思っています

長男は今大学1年生で福祉系の大学を選んだのですが「次男のために」ではなく、次男をきっかけに自分の好きなこと、向いていることに気づいた感じでした。次男は料理に興味があるようで、昔から「料理を作る人になりたい」と言っているので、調理とかそういう方向へ進みたいのかなと思うのです。凹を見るのではなく、凸を見る…得意なことや好きなことを大事にして、長男も次男も生きていってほしいなと思います

奥山さん
奥山さん

奥山さんが大事にする「自立」って何でしょうか?

美良生の場合、できないことが他の人よりもいっぱいあるから、少しでも「できること」を増やすように努めなきゃ、普通の人に近づける訓練をしなきゃと、最初の頃は思っていました

でも最近は、自分で立つだけでなく、他の人の手を借りながら立つ方法もあると思っています。

身体障がいのある方の中には、どうしても立つことができない方がいます。なので、車いすがあったり、松葉杖があったりする。目が見えにくい子のためには、眼鏡がある。それと同じように、できないことをできるようにするのではなくて、創意工夫をし、他のものや人の手を借りて立つことも、立つ方法の1つだと思うのです

絶対に字が書けるようにと訓練するのではなく、字を書けたら楽しいだろうな…できなくてもいいけど、できたら楽しいからやってみる?と思っています。できなければ「できない」のままでもいい。それよりも楽しく笑って生きていた方がいい。障がいのあるなしに関わらず、頼っていいのだと知って生きられることが大事ですよね

料理が苦手な私にはアプリが寄り添ってくれ、目の前にある材料から何ができるのかを教えてくれます。美良生は漢字は読めないけど、平仮名は読めるので、大きな文字の教科書にルビを振って使えばいい。分からないことが多い中でも、できることを楽しんでもらいたいなと思っています。先生方もありがたいことに、すごく寄り添ってくれていて、一緒に美良生の生活を考えてもらっています。

奥山さん
奥山さん

大事にしている考え方はありますか?

面白がって生きることですね。泣いても笑っても、あっという間に1日は過ぎていってしまいます。

毎日ハッピーである美良生を見て、ハッと気づかされるのは「そうだ、楽しむために私は生まれてきたのだな」ということ

忙しい毎日だと忘れてしまいがちなのですが、1日1日を面白がらなくてはもったいないなと思います。1分1秒でも、心から笑える時間を見つけています

奥山さん
奥山さん

インタビューを終えて

奥山さんの等身大の言葉と、出産から今日に迎えるまでの日々を伺い、「楽しむために、生まれてきた」という言葉の大きさを感じました

子ども達が見せてくれている「一緒に楽しめる方法」は、人助けやサポートというようなどこか少し距離を感じてしまう方法ではなく、「そっちのほうが楽しいじゃん!」という力強く輝きに溢れた方法であると感じます

私たちが子どもの頃も、きっと似たような力を持っていたように思うのです。みんなでできる方法は何なのか、一緒に楽しめる方法は何なのか、その本質に立ち返ることがとても大切で、そのシンプルな方法の先に柔らかな生きやすさがあるのだと思いました。

取材・撮影場所協力:Nico’s Kitchen

WRITER

小川 優

大学で看護学を学び、卒業後は藤沢市立白浜養護学校の保健室に勤務する。障がいとは社会の中にあるのでは…と感じ、もっと現場の声や生きる命の価値を伝えたいとアナウンサーへ転身。地元のコミュニティFMをはじめ、情報を発信する専門家として活動する。

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