経験が武器、義手をつかったスタートダッシュ(パラ陸上 多川知希選手)
多川知希選手との出会いは、2019年3月に秩父宮記念体育館でおこなわれた「パラリンピックメダリストがやってくる!~かけっこ教室~」でした。神奈川県出身のパラアスリートとして、藤沢の小学生たちに「走る」という技術はもちろん、継続することの大切さや選手としての心を、トークショーの中ではたくさん語っていただきました。同世代の選手であったこともあり、蓋をあけてみると共通の友人がいるなど、私の中で親しみを覚えている多川選手。働きながら、陸上と向き合う多川選手にお話を伺いました。
多川知希選手の大会成績
■2008年 北京パラリンピック(中国:北京)
100m、200m:出場(予選落ち)、4×100mリレー:失格
■2012年 ロンドンパラリンピック(イギリス:ロンドン)
100m:5位入賞、200m:出場(予選落ち)、4×100mリレー 4位
■2016年 リオデジャネイロパラリンピック(ブラジル:リオデジャネイロ)
100m:出場(予選落ち)、4×100mリレー 3位(銅メダル)
かっこいい義手をつけている多川選手というイメージはあります。あらためて、どのような障がいがあるのか教えてください。
右手に、先天性の上肢障がいがあります。肘関節まではありますが、手首や手のひら、指はないです。イメージとしては、右手は肘関節の先からないので、長袖などを着るとぶらんとなってしまう感じです。
義手を使ったスタートダッシュが印象的ですが、「パラ陸上」と聞いたときに、足を使っておこなうスポーツというイメージがあります。手の障がいは、走ることにどのような影響を与えているのでしょうか?
そうですね。陸上競技はクラウチングスタートが基本で、両手を地面につくため、義手がないと右肩が下がってしまうんです。両肩が水平になるために、義手が必要なんですよね。義手がなくても出られるのですが、10回やって同じようにスタートが切れるのかというとそういうわけでもないので、勝負をする上で、義手で安定したスタートを切れるように調整している感じですね。実はパラの世界は立って出てもいいのですが、僕は一般の大会などにも出ているので、基本のクラウチングスタートになれておかないと、と思っています。
義手はいつから?パラ陸上を始めたときからの付き合いですか?
最初からはつけていないですね。パラ陸上を始めたのは、2005年…大学1~2年の頃です。義手を使い始めたのは、2008年の北京パラリンピックの年でした。ちょうど、スタートの悩みが出てきた頃で、10回やって10回とも同じようなスタートを切れないという難しさがあったんです。
その年に海外へ遠征に行ったら、結構、ヨーロッパの選手は義手をつけていたんです。それを見て、もともと知り合いだった義肢装具士さんに、日本に帰ったら義手を作りたいって連絡を入れたんです。それが人生初の義手です。その年の7月に作って、その2か月後の9月には北京パラリンピックって感じでした。
やはり、つけてみると違いましたか?
最初の印象はやはり、重いって感じでしたね。普段つけているわけでもなかったので、慣れていませんし、腕を振るのも重いっていう印象でした。あとは、感覚があるのは自分の手の部分までなので、先に棒がついているような感じで、あまり困ったエピソードはありませんが、走るとき身体にぶつけてしまうことが、稀にありました。
義手をつけて違うなと思ったのは、見た目もちょっとかっこいいというか…(笑)ちょっと珍しくなるというか、パラリンピックっぽくなるというか。義足の選手をかっこいいと思うように、なんかいいなと思いました。今でこそ義手の選手もいますけど、その頃は日本にはまだいなくて自分一人だけだったので、注目していただくなどありがたかったです。
義手のモデルチェンジもしているんですか?
2008年、2012年、2016年と、パラリンピックごとに作っています。
だんだんと、義手としては軽くしていったのですが、ここ4~5年で右手の筋力もだいぶついてきたので、多少重くても腕を振れるようになったので、今は2008年のモデルを使っています。このまま、東京パラに出場できるようになったら、2008年のモデルでいくつもりです。
いいですね。歴史があって、もう一度最初のモデルでいく…多川選手の人生が見えるようですね。あらためて、多川選手の強みを教えてください。
走る姿勢や腕の振り、足の運びなど、意識していることの基本は、障がいに関係なく、他の陸上選手と同じです。ただ、やはり右手が欠損しているため、左右のバランスが悪く、セオリー通りいかない部分もあります。義手の重さなどもありますし。僕の場合、右側をカバーするように、左手を身体の中心に持ってきて腕を振るなど、自分の身体の特徴と向き合って試行錯誤しながら走っています。
失敗を繰り返しながら、長いこと陸上競技をしているからこその「経験」が自分の武器だと思っています。
義手を使ったスタートダッシュは12年続けているので、だいぶ慣れてきました。速く走るために、陸上競技としての難しさはもちろんありますが、障がいをもっていることでの難しさはそこまで感じていません。
競技の面白さを教えてください。
自分の競技結果が数字として表れることです。そのタイムを超えることができれば、過去の自分に勝つことができたという事実が明瞭なところが面白いです。
プロセスも大事だし、結果も大事。自分の行いが自分に返ってくることで頑張れるのかと思います。なかなか自己ベストタイムを更新することができず、ときに数字は残酷な部分もありますが、そこも含めて個人競技の面白さだと思っています。
スポーツを通して、学べたことや刺激になったことがあれば、教えてください。
今回のようなインタビューや講演の機会をいただくこともそうですが、自分の経験を話し、少なからず周りの方々に影響を与えていることを実感することで、自分に自信がついてきました。競技を始めるまでは、自分の障がいに対して卑屈になることはなかったのですが、自信を持つこともなく、小中高と過ごしてきて、「自分は障がい者です」とあえて自分から言うことは少なかったように思います。目立つ障がいではなかったというのもあるのかも知れませんが、自分から「障がい」を見せたいとは思わなかったです。気づかれないなら気づかれない方がいい、みたいな感じですね。
ただ、北京、ロンドン、リオと3大会に出場させていただいたことで、右手を見せるということに対して勇気が出たというか、自信を持てるようになりました。Tシャツなどを着ると、やはり右手に皆さんの目がいくんですよね。隠すわけではないけど、昔はTシャツを着たりするのが嫌で長袖を着たり…今は自由に何も気にせずって感じです。競技をやってきたことで、障がいをもっていることに対して自信を持てていますので、今まで一所懸命にやってきて良かったです。
「継続」してきたことで、今につながっているんですね。多川選手が大切にしていることを教えてください。
自分が頑張ることで周りの人が応援してくれること、喜んでもらえること、その経験を忘れないことだと思います。今まで、周りの人たちに認められるような結果を出すことってあまりなかったので、初めて北京パラリンピックに出たときに、両親や友人、周りの人が応援して喜んでくれて、それが目に見えて分かり、そこに自分のアイデンティティのようなものが生まれたんです。正直、マイナスでしかないと思っていたハンディとしての障がいが、全然そんなことないと思えるようになり、この世界で活躍していきたいと思えました。
パラリンピック3大会に出場させていただき、それぞれ出場したときの環境は違いましたが、いつも周りの人は応援してくれて、喜んでくれました。これは自分にとって、とても嬉しいことです。多くの方々に支えられて、競技を続けていることを再認識することで、もっともっと頑張れるのだと思います。
選手としての今後の目標や意気込みを聞かせてください。
東京パラリンピックに出場することです。必ず成し遂げます。
地元開催のこのチャンスをものにしたいですし、いろいろな方が応援してくれているのが分かるので、やはり出場して結果を残したいですね。
今後のビジョンとしては、いつか最前線で戦えなくなったとしても、ずっと続けていきたいと思いますし…走れなくなるまで走り続けたいです。
インタビューを終えて
初めてお会いしたときに「多川選手の義手をかっこいいな~」と思っていましたが、ご本人からも、少し照れ笑いをしながら「見た目がちょっとかっこいい」「パラリンピックっぽい」という言葉を伺い、一緒ですねと嬉しく思いました。
どこか「義手」=「かっこいい」とか、「障がい」=「かっこいい」とか、そういう言葉を言っていいのかなと思うとき、ありますよね。
パラスポーツの世界では選手たちの華々しい活躍もあり、心から「かっこいい」といえる空気感ができあがってきました。
この感覚は人それぞれ違うと思うのですが、私の思う世の中は、パラリンピックで見るようなパラスポーツには「かっこいい」と言えているように思います。
もっと近くにある障がい者スポーツや障がいがある方に対してはどうでしょうか?障がいの種別によってはどうでしょうか?もっと単純にかっこいいという言葉を伝えられるようになったらいいなと思います。
多川選手は、フルタイムで会社員をしながら、勤務後には練習、土日も身体のメンテナンスや練習…お忙しい中、取材にお付き合いいただきました。
「経験」が武器、2008年モデルで東京を舞台に闘っていただきたいです!応援しています!