生きる許可
「人に迷惑をかけるばかりで、生きていてもしょうがないよ。早く終わりにしたいよ。」
夜7時、多くの利用者様は、夕食を終え就寝準備を始めている頃、家族に電話をかけたいとおっしゃった利用者様が受話器に向かって放った言葉だった。
私の働く高齢者施設には、足の骨折や老化により車椅子が必要となってしまった方や認知症の進行により自宅での生活を継続することが難しくなってしまった方々が入所している。私たちはそういった方々に対し、必要とされるリハビリ、医療的ケア、介護を提供するわけだが、利用者様がこの瞬間求めていたものは、これらの専門職によるケアではなかった。
生きる許可だ。
私たちは、日常生活を送る中で、時には文句を言いながら会社で働き、なんでやらなくちゃならないんだと思いながら、家のトイレ掃除に洗濯に料理をして生きている。宝くじが当たれば楽に幸せに生きられるのだろうなと考えている。しかし、実はそうではないのだ。
社会の構成員として働いているということは、自分が社会から必要とされている、家族から必要とされている、生きていて良いのだと感じることに繋がっている。
そうやって自分が生きる許可を、私たちは働くことで無意識のうちに自分自身に与えているのではないだろうか。
利用者様が放った言葉を考える時、私は同時に、昔花屋で働いていたという介護士さんの顔を思い出す。毎月、色とりどりの造花を組み合わせて、施設内に飾ってくれていた。綺麗ですねと声をかけると、「花屋で働いていた頃は、私が作った花束も店頭に並んでいたんですよ。」と誇らしげに話していた。
たぶん、あの笑顔を心の中に持ち続けることができれば、人は生きていくことができるのだと思う。
サポートライター 小川 愛(介護老人保健施設 社会福祉士)