コラム

むぎむぎ通信 vol.19「娘が見つけた“特別なお水”」

代表が書くコラム、柔らかく紡ぐ「むぎむぎ通信」です。

今回の話は、娘が見つけた特別なお水の話です。

毎晩、私と娘は二人でお風呂に入ります。

「私が一人で入って、娘は外で待っている」――そんな時期もありましたが、離れると泣いてしまうようになってからは、ずっと「二人一緒」。

まずは私が髪と身体を洗う。この時間が、かつては鬼門でした。
最近はだいぶ落ち着いてきて、今では娘に笑われそうですが。

シャワーを止めている間は、蛇口から水を出してタライに溜めます。
娘はその水を見ながらペチペチと叩き、キャーと笑ってバシャバシャ。
その隙に私はメイクを落とし、少しお水を分けてもらって顔を洗う。

シャワーを出して髪を濡らし、また蛇口に戻す。
何事もなかったかのように遊び続ける娘。
少し飽きてきたら、ボールをひとつプレゼント。

ボールとタライの水で遊ぶ娘を横目に、私はマッハでシャンプー。
続いて、シャンプーを流す。娘が近づくと泡が目に入ってしまうので、そこで登場するのが娘専用の小さなプーさんの片手桶。新しいおもちゃにキャーと笑う娘。

毎日のことながら、この“おもちゃのコース料理”もだいぶ板についてきたなぁと思っていた、そのときです。

娘は成長を見せました。
私がシャンプーを流していると、「あ、あ、あ!」と声をかけてきます。

「ん?どうした?」と目を向けると、プーさんの手桶を両手で持ち、テチテチ歩く。
「お水、ください」と言わんばかりに差し出してくるのです。

シャワーを少し弱めて、そっと桶に注ぐと、パァッと目を広げてにんまり。
重たくなった桶を大事そうに床に置き、指先をちょこんと水に入れては、満面の笑みで私を見上げる。

――ええええ、かわいすぎる。

それは、娘にとって特別なお水でした。
後ろの蛇口からあふれるほど出ている水ではなく、ママのシャワーから分けてもらった“特別な水”。
何度も指先でちょんと触れては、「えへへ」と笑う。

娘はそのお水を指先ですくい、「はい、どうぞ」と私にプレゼントしてくれる。
シャワーを浴びている私に“お水のプレゼント”というのも、ちょっとクスッとするけれど、それでも娘の中では、それが「特別な水」なのだと思う。

だからこそ、私がうっかりその桶を流してしまったときのことが忘れられません。
娘は怒るでも泣くでもなく、ただ静かに桶を見つめていました。
「お水、なくなっちゃった」と言いたげなその表情に、言葉にならない寂しさが宿っていたのです。

ああ、人が大切にしているものって、きっとこんなふうに静かなんだ。
声を張り上げて守るものばかりじゃなくて、人知れず、そっと抱えているものもある。

社会で暮らすすべての人が、自分なりの「大切なもの」を持っています。
それがモノであったり、行動であったり、価値観であったり。

「大切なもの」は「特別なもの」。子どもも大人も同じ。
一見、同じように見えるものでも、そこにある背景やストーリーが違えば、それはもう別のもの。
理屈や効率の前では説明のつかない、「これは同じように見えて、同じじゃないの」を、愛おしく思えること。

目の前の人が大切にしていることを、「それは大事だよね」と受け止められること。
理解や想像が追いつかなくても、侵さないでいられること。

きっとそこに、「ともに生きる」の始まりがあるのだと思います。

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WRITER

小川 優

大学で看護学を学び、卒業後は藤沢市立白浜養護学校の保健室に勤務する。障がいとは社会の中にあるのでは…と感じ、もっと現場の声や生きる命の価値を伝えたいとアナウンサーへ転身。地元のコミュニティFMをはじめ、情報を発信する専門家として活動する。

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