むぎむぎ通信 vol.17「心に余白をつくると、世界が少しやさしく見えた」

代表が書くコラム、柔らかく紡ぐ「むぎむぎ通信」です。

娘が1歳になりました。
むぎむぎ通信は当初、日々の小さな発見や、私なりの社会の見方を綴るつもりで始めたものです。けれど気づけば、私の「日常」はすっかり育児中心になり、「娘の成長とともに見えてきた世界」を書き連ねるようになっていました。

人と向き合うと、たくさんの気づきがあります。それは育児に限らず、誰かと関わるあらゆる場面で同じこと。人を見ることで、自分自身を知ることもあります。
夫婦二人の生活から、娘を囲む三人の生活に変わって、私の時間の使い方は大きく変わりました。
一日のほとんどが娘との時間で、娘が眠ったすき間の時間に、少しだけ家事や仕事を進める。かつて一人で回せていた家のことも、今は夫に多くをお願いしながら過ごしています。
もともと「人に頼るのが苦手」な自覚はありました。お願いするたびに「本来ならできるのに」と情けなさを感じ、つい「出産前はやっていたんだけど」と言い訳のように添えてしまう――。そんな自分がいました。

そして最近、「働き方」ではなく「生き方」そのものを変える必要があると気づきました。
育児は一時的なものではないのに、「今は特別な時期だから」と思いたかったのだと思います。
私はもともと仕事が大好きで、いくつものことを同時に進めながら、自分なりのバランスを整えて働いてきました。
アナウンサーの仕事も、ソーシャルワーカーの仕事も、執筆も。どれも自分らしい形を模索しながら続けてきたので、出産後も「その形に戻すこと」が目標のようになっていたのです。

娘と過ごす時間も大切にしたい。けれど仕事もしたい。
その両立には「努力」が必要だと信じ、「夜中にやればいいじゃん!」と前向きに思っていた時期もありました。
働き方改革――それさえうまくできれば、私はすべてを大切にできる。そう思っていたのです。
ふと、大学時代を思い出しました。
看護学科の4年生で、実習や研究、試験勉強に追われていた頃、担任の先生から「あなたは植物を育てなさい」と言われたことがあります。
あとになって、その言葉の意味がわかりました。努力だけではどうにもならないことがある。時間をかけなければならないこと、自然の流れに任せるしかないことがあるのだと。

私は「努力すること」に安心してしまうタイプなのかもしれません。努力をしていると、前に進めている気がする。けれど今は、努力ではない生き方を見てみたいと思っています。
「生き方改革」の一つ目は、「努力をやめてみる」こと。
がんばらない世界を、知ってみたい。
休むことを「充電」と捉えるのではなく、がんばらないことそのものを大切にできたら、もっと違う景色が見える気がします。
努力をやめることで、心に余白が生まれる。
その余白に、また新しい「大切にできる世界」が見えてくる。

1年の育児を経て、私は自分のなかの「別の発想」に出会ってみたいと思うようになりました。
単純に、仕事をやめて育児に専念するとか、職業を変えるという話ではなく、今の私の延長線上で、また違う価値観で歩いてみたいと思うのです。
娘と過ごす日々のなかで、努力を手放したところに生まれた心の余白から、新しい見え方や感じ方が少しずつ芽生えている気がします。
その余白を大切にしながら、
私もまた、自分らしい歩幅で生きていけたらと思います。
