コラム

むぎむぎ通信 vol.16「“一緒”が嬉しいー 食卓からインクルーシブを考える」

代表が書くコラム、柔らかく紡ぐ「むぎむぎ通信」です。

娘は来月には1歳を迎えます。最近の娘は「一緒」が大好き。家族3人で食卓を囲むと、自分だけ食べているものが少し違うことに気づいたのでしょう。大人の食べているものを見ては、「それちょうだい」と手のひらを大きく開いてアピールします。まだ歯が6本しか生えていない11ヶ月半の娘ですが、柔らかい大根や味噌汁の上澄、コロッケの中身やお豆など、食べられるものを少し分けると、とても嬉しそうに頬張ります。

いないいないばぁも、してもらうより自分でする方が楽しいようで、ベッドの陰から顔を勢いよく出したり、タオルで顔を隠したり。何もないところで突然くるりと振り向き、「ばぁ!」と得意げに笑わせてくれる姿に、私たちもつい笑顔になります。

驚いたのは、音の出るおもちゃを両手に持って遊んでいたときのこと。ふと私の手に音が出るものがないと気づくと、「一つどうぞ」と差し出してくれ、一緒にシャンシャン鳴らすのを楽しんでいました。

「一緒」が嬉しい。

まだ1歳になっていない娘も、「同じ」が嬉しいのです。離乳食は歯茎で潰せる硬さや少ない歯でも食べられる工夫が必要で、大人とまったく同じにはなりません。それでも大きさを変えたり、工程を少し工夫することで「同じ」を叶えることができます。

そんなことを考えていたとき、白浜養護学校で働いていた頃の給食を思い出しました。給食室の皆さんは「みんなで楽しめる美味しい給食」を目指して、調理の段階から工夫を凝らしていました。たとえばハンバーグなら、刻んで食べやすくするのではなく、最初から山芋を混ぜて柔らかく仕上げ、同じように焼く。そうすれば、見た目も味も、みんなと同じハンバーグになる。

噛めないから見た目が違う、噛めないから美味しくない――ではなく、机を並べて「同じように」食べられること。その嬉しさは、とくに子どもにとって大きいものです。

娘の「一緒がいい」という姿を見ていると、学校や地域でも同じように「一緒にいたい」「一緒に学びたい」という気持ちが、子どもたちの根っこにあるのだろうなと感じます。教育の世界では「インクルーシブ教育」という言葉で語られることがありますが、その根本にあるのは、子どもたちのごくシンプルで自然な願いです。

もちろん、インクルーシブ教育には学びの幅が広がるとか、多様性への理解が深まるといった教育的な効果も語られます。でも、そうした成果を考える前に、まずは子どもたちが抱いている「一緒がいい」という思いそのものに目を向けたい。その思いを尊重し、大切にすることが、インクルーシブ教育の本当の意味につながっているのだと思います。

食卓で「一緒」を喜ぶ娘を見ながら、どうすれば同じものを食べられるかなと工夫を考える。その笑顔を原動力に試行錯誤する時間に、インクルーシブの本質がある気がします。

きっと「一緒が嬉しい」という気持ちこそ、すべての出発点なのだと思います。

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WRITER

小川 優

大学で看護学を学び、卒業後は藤沢市立白浜養護学校の保健室に勤務する。障がいとは社会の中にあるのでは…と感じ、もっと現場の声や生きる命の価値を伝えたいとアナウンサーへ転身。地元のコミュニティFMをはじめ、情報を発信する専門家として活動する。

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