コラム

むぎむぎ通信 vol.15「“いらない”の手のひらからー 社会のなかのノイズをやわらげる」

代表が書くコラム、柔らかく紡ぐ「むぎむぎ通信」です。

娘は11ヶ月になりました。最近は「イヤです」を上手に表現できるようになって、ごはんのときの「いらない」がとてもわかりやすくなりました。怒ったりひっくり返したりするのではなく、手をグッと前に出して「もう結構です」と言わんばかりの表情を見せてくる姿が、何とも可愛らしくて。つい笑ってしまいながら、「本当にいらないの?」と何度も確認してしまいます。

こちらが何かを教えたわけでもないので、慎重で穏やかなのは、きっと彼女がもともと持っている「性質」なのだと思います。子育て支援センターなどでも、娘は「観察」が大好き。少し年上のお姉さんの動きをじっと見て、「なるほど…そうやって身体を使うのね」と納得したように、家に帰ってからそっと真似してみたりします。

内弁慶なところも含めて、「彼女らしさ」がにじみ出ているのが素敵だなと感じます。「自分らしさ」をしっかり獲得していくのは、まだもう少し先かもしれませんが、その根っこになるような「いいところ」を、日々教えてもらっている気がします。

ところで、「いいところ」って、何を基準に言っているのだろう?と、ふと思いました。

今の娘は比較的おとなしく、喜び方も怒り方も控えめで、嬉しいときは少しはにかんでギュッと抱きついてきます。私はそんなところを「いいなぁ」と感じているけれど、もし彼女がもっと感情の起伏が激しい子だったなら、「気持ちをしっかり表現できて素晴らしい」と感じていたかもしれません。

そう思うと、結局どんな性格であっても、それはその子の「いいところ」。

「いいところ」には決まった基準があるわけではなく、長所と短所は裏表で、あとは受け取る側の「好きか、苦手か」に委ねられているのかもしれません。

「静か」が好きな人にとってはおとなしい子が魅力的に映り、「明るさ」が好きな人にとっては、もっと元気な子が理想に映る。誰かに言われる「もっと○○しなさい」の「○○」は、その人の好みによるものなんだろうなと、最近感じるようになりました。

これは、大人の世界も同じ。

会社や学校のように、あらかじめ「理想の人物像」が定められている場では、それに照らし合わせて評価がされるから、ある種の「基準」が生まれます。

でも、日常生活や地域のなかなど、理想像がはっきり定まっていない場所では、どんな性格も、どんな能力も、その人の「いいところ」になるのだと思います。

もし相手の「いいところ」が見えにくいときは、自分の中にある「好き・苦手」や、「こうであるべき」というフィルターを、少し遠くに置いてみる。その作業が、私たちの間にあるノイズをやわらげてくれるのかもしれません。そして同時に、自分を縛っていた「理想像」も少しずつほどけて、ふっと楽になれる気がします。

誰かを「そのまま」で受けとめることは、きっと、自分自身にも優しくなること。娘の姿から、そんな大切なことを改めて教えてもらっています。

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WRITER

小川 優

大学で看護学を学び、卒業後は藤沢市立白浜養護学校の保健室に勤務する。障がいとは社会の中にあるのでは…と感じ、もっと現場の声や生きる命の価値を伝えたいとアナウンサーへ転身。地元のコミュニティFMをはじめ、情報を発信する専門家として活動する。

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