コラム

むぎむぎ通信 vol.14「発した言葉で、本当の言葉を見失わないように」

代表が書くコラム、柔らかく紡ぐ「むぎむぎ通信」です。

10ヶ月半を迎えた娘は今日も元気に活動中です。最近の娘はつたい歩きをしながら、高い位置にある欲しいものを取るために背伸びをし、たくさんの物を掴めるようになりました。

テレビに映る甲子園で観客が拍手をすれば、自分も「パチパチパチ」。仕事に向かうパパに「ババィ」と言いながら手を振る。動作を真似するだけでなく、少しずつ「意味」も含まれてきたような印象です。

お気に入りの赤ちゃん用ミュージックビデオが止まってしまうと、私のほうを向いて手を上げながら「あ、あー!」と教えてくれます。最初は「一緒に遊ぼうよ」という意味なのかと思いきや、「止まっちゃったよー」の合図。動き出すとケラケラと笑っています。

以前よりも、コミュニケーションが確かになっているのを娘も感じるのでしょう。自分の力で頑張って物が取れたとき、やりたいと思った動作ができたとき、「やったぁ」と喜ぶ瞬間に「やったね」と私が笑いかけると、彼女を照れ笑いをしながら抱きついてきます。

ちょっと失敗をして泣きそうなとき、偶然が重なって面白いことになってしまったとき、目を合わせて、ふたりして吹き出して笑うことも。共感を実感するやりとりがこんなに早くできるとは思っていませんでした。

忙しくも穏やかな時間のなかで、動作や表情、目線や声色など、言語以外のサインを受け取り合って、私たちはコミュニケーションをしています。言葉に頼らない、言葉以上の「言葉」がそこにはあると感じています。

「言葉以上に、言葉がある」と最初に感じたのは、大学で看護学を勉強していた頃でした。実習を通して、言葉だけでなくトータルでその人を捉えないと、捉え違いをしてしまうなぁと思ったのがきっかけです。そう思って、考えてみると、家族や友人との付き合いも同じだと気づくことができました。

そこから、中学の保健室の教員になり、生徒たちとのやりとりでも同じことを感じました。白浜養護学校に異動してからは、さらに言葉以上に、そこには確かな言葉があることを知り、言語ではないコミュニケーションが当たり前になっていきました。

日常生活を送っていると、つい「言葉以上に、言葉がある」という感覚を忘れ、言語に頼っていく自分がいます。「言葉以上に、言葉がある」と気づく機会をもらえることは喜びで、大切なものにもう一度出会えたような感覚がありました。そうして今も、娘から大切な感覚を毎日もらっています。

娘とやりとりをしながら、いろいろな人とのコミュニケーションをよく思い出します。実習のときに出会った患者さんや学生時代の友人、視覚や聴覚に障がいのある人、教員時代やSSW時代に関わった生徒たち、両親や姉妹、家族、職場の同僚…いろいろな時代のいろいろな関わりをふと思い出して「私は何を大切にしてコミュニケーションをしてたかな」と思い返すことがあります。

「言葉以上に、言葉がある」、狭い意味の言語という言葉に捉われず、広い意味での「言葉」を大切にしていきたい。口から発する言葉も大切、それ以外の言葉も大切。人は多くの表現をつかって、人と関わっている。自分の価値観に捉われず、細やかにその人全体を見ることができたら、きっともっと人は人を好きになれるのでしょう。

近い未来に、娘は言葉を覚え、どんどん話し始めるでしょう。そのときに、発した言葉で本当の「言葉」を見失わないようにしたいなと思っています。

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WRITER

小川 優

大学で看護学を学び、卒業後は藤沢市立白浜養護学校の保健室に勤務する。障がいとは社会の中にあるのでは…と感じ、もっと現場の声や生きる命の価値を伝えたいとアナウンサーへ転身。地元のコミュニティFMをはじめ、情報を発信する専門家として活動する。

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