むぎむぎ通信 vol.13「選択できること(後編)」

代表が書くコラム、柔らかく紡ぐ「むぎむぎ通信」です。

娘は10ヶ月になりました。前回のむぎむぎ通信を掲載した次の日、つかまらずに立つことを獲得。立てることが嬉しくて、嬉しくて堪らないようで、「いける!」と自分で気づくと、立つ前から笑顔が溢れます。
また、最近は「パチパチ」「手を振る」「両手をあげる」などの動作を真似できるようになりました。はじめは、パパやママの動作を真似して喜んでいましたが、今では自分が先に動作をやり「ほら、ママたちもやって」と言わんばかりに目をキラキラさせて待っています。
「パチパチをする、パチパチが返ってくる」「ヨッと手をあげる、同じように返ってくる」、言語でのコミュニケーションはまだできないけれど、行動に対して、期待する反応が返ってくることで「つながっている」を実感して幸せな気持ちになるのでしょう。そんなに嬉しいの?と笑ってしまうほど、最上級の笑顔で楽しんでくれています。

前回のむぎむぎ通信では、【選択の価値】を話題にしてきました。そのなかで、多くの人が 【私は「わたし」であり続けてよく、私は「選択」をしていい存在である】と思えることが重要だと話しましたが、【私が「わたし」である】ことも、【「選択」していい存在である】と思えるかどうかも、生きてきた環境と大きく関わります。
どんな家庭で育ち、どんな親・兄弟と関わり、どんな友人と出会い、どんな恋人や同僚と知り合ってきたのか…きっとそのすべてが影響してくるのでしょう。
生きる環境がやさしくなり、誰でも無条件に、自分らしく、自分の選択をできるようにしていきたいものです。

生育歴を理由にしてしまうと終わってしまうので、ここから、どうしたら少しずつ「自分らしい、自分の選択」を大事にしていけるかを考えていきたいと思います。
もし、自分が「自分らしく、自分の選択ができない人」なら、毎日【小さな選択】を練習してもらいたい。きっと少しずつ、自分の選択が自分の周りに増えていくと、それが自分自身を支えてくれるようになると思います。
もし、周りに「自分らしく、自分の選択ができない人」がいるなら、いつまでも待ってあげてほしい。一瞬のチャンスとして選択の機会を渡すのではなく、相手のペースに合わせながら、常に【選択ができる余地】をつくってほしいなと思います。
習慣を変えるのはものすごく大変なこと。氷がゆっくりと溶けていくように、「自分の気持ちを大事にしていいんだ」「私は選択していいんだ」「自分のために生きていいんだ」と思える環境をつくっていきたいなと思います。

さて、漠然とした話をしてしまいましたが、テーマから離れて、私の「今」を書いていきます。
2月頃から、Ana Letterは掲載日を決めて、掲載してきました。今回、むぎむぎ通信の掲載が2日遅れました。どんなに効率よく整えても、念入りに安全なスケジュールを組んでも、ことごとく予定通りにはいきません。子育ては大変だと思っていましたが、予想以上に【予定】というものが組めないのだと実感しました。
頭の中の天秤には、「娘」「仕事」「家庭」「私の自己満足」…とさまざまな項目が浮かんできます。ジャンルの異なるものを同じ天秤にかける必要はないと思っていましたが、いよいよ時間がなくなると、天秤にかけざるを得ません。そうすると、可愛すぎる娘が当然一番になるわけです。
ただ、ここで難しいのは、だからと言って、私は取材をやめたくない。待ってくれている人がいるAna Letterも止めたくない。そもそも私が自分のために書きたい。…こんなところにも、【選択】があります。今、この瞬間、私は何を選ぶのかと、一瞬一瞬、多くの決断をしています。

今日は初めて子育て支援センターの「ひととき預かり」をつかってみました。2時間という短い時間でしたが、娘を支援センターで預かってもらいました。これほど事務仕事が進むのかと、正直、驚きました。想像しにくいかも知れませんが、時間がないときはメールの返信をうつ時間もないのです。
恥ずかしい話ですが、私は自分のことを、そこそこマルチタスクだと自負して生きてきました(笑)。最近は、ワンタスクですら熟せず夜を迎える自分と度々出会います。「これが育児、だから仕方ない」と自分で自分を許すようにしていますが、自分の【選択】を悩むことも、自分の基準が揺らぐことも正直あります。
私の時間をすべて娘のものにできたら、もしかしたら私は楽になれるのかも…とも思いつつ、やはり譲れない自分の生き方を選択していこうと思います。私が楽しく生きること、それがきっと大事なのだと思う。よし、お迎えに行ってきます!