むぎむぎ通信 vol.7「お金と人手がないで終わらせない」

代表が書くコラム、柔らかく紡ぐ「むぎむぎ通信」です。
合理的配慮の提供が義務化されて1年が経ちました。「対話」の機会は増えたでしょうか。今回の「むぎむぎ通信」は、似ているようで異なる「対話」と「交渉」についてのお話です。

合理的配慮の提供で大切なことは「交渉」ではなく「対話」だと思っています。
車いすで入場できるようにスロープをつけて欲しい
そうですね、それは必要なことなので来年度予算で実施しましょう
耳が聞こえないので、すべての窓口に手話通訳者を配置してもらえませんか?
それはお金も人手もないので無理です
これらの会話は、交渉です。「できる」「できない」を話し合う上ではとても端的であり、物事や約束を明確に決められる良さがあります。
しかし、合理的配慮の提供のように、共生社会を考えていくときには「交渉」よりも「対話」が大切になります。交渉は、どうしたら相手を納得させられるか、どうしたら自分の希望を通すことができるかに重きが置かれてしまい、相手を「知る」という最も大切な部分が後回しになってしまう可能性があるからです。

合理的配慮の提供は、勝ち取るものでもなければ、上手く負かすものでもありません。提案の内容について、既存のルールで、できるかできないかを答える前に、その人が長く感じてきた「思い」を知り、話し合うことが大切になります。
交渉であれば、とどめの一撃として「お金がない」「人手がない」が出てきてしまう場合があります。話を聞いたあとに資源の不足を伝えると「もう、この話はおしまい」と、提案した側は納得せざるを得なくなります。
対話であれば、「お金がない」「人手がない」は、話し合いの始まりになります。今の時代は、お金も人手もどんどん少なくなっています。資源の限界があることをベースに、そのなかで、どのようにしたら、より良いまちづくりをできるかを考えるのが大切です。

合理的配慮について考えていく「対話」では、なぜ相手はこの発言をしたのだろう、どういう思いがあるのだろうと相手の感情や背景を知る必要があり、「◯◯してほしい」という要望に対して、「そう思った理由を教えてください」と会話を進めることが大切になります。
先ほどの例であれば、
車いすで入場できるようにスロープをつけて欲しい
耳が聞こえないので、すべての窓口に手話通訳者を配置してもらえませんか?
という会話があったら、そこにある思いを聞いてみてほしいと思います。すると、単に「大変だから」「困っているから」だけではない、「環境が整っていないと排除されている気持ちになる」「次はひとりで来ないでくださいと言われて嫌だった」など、そこにある本質が見えてくることがあります。

本質はとても大切で、そこがわからないと本当の意味での改善につながらない場合があります。
そうですね、それは必要なことなので来年度予算で実施しましょう
それはお金も人手もないので無理です
本質が見えないと、これらの会話をしたあとに「入口がスロープになっても、行きづらさが変わらない」「また人手を理由にされた。もう気持ちを伝えるのをやめよう」などが生まれてしまいます。
仮に、「排除感」という本質があった場合、下のような会話が続くことで、もっと具体的に工夫できることが見つかることがあります。
この提案に至った背景も教えてもらえますか?
スロープ以外に、不便に感じていることはありますか?
手話通訳者は予算的に難しいけれど、どの窓口も利用しやすいようにしたいです。いい方法を一緒に考えませんか?

社会のなかには、お金や人手を理由に我慢を強いられることがあります。また、お金や人手があったとしても、本質がズレてしまうこともあります。だからこそ、たくさんの対話を重ねることが大切です。
どこからお金や人手を調達するかを考えることも大切ですが、これから先の未来は、もっとお金もなく、労働人口も減っていく時代がやってきます。「資源を投入しないと、人権は守れない」という発想を転換して、今ある環境や資源でどう工夫をするかという点に、みんなで頭につかっていくことが必要だと思っています。
人手がなく、対話する時間がないというのは本末転倒です。「タイパ、タイパ」とタイムパフォーマンスに価値を置かれている時代ですが、「対話をすることの価値」「時間をかけることの価値」「頭を柔軟につかうことの価値」をもう少し大切にできたらと願っています。
