コラム

むぎむぎ通信 vol.3「思い出せないピース」

代表が書くコラム、柔らかく紡ぐ「むぎむぎ通信」です。今回も出産を機に気づいたことを綴っていきます。

最近の娘は、隙あらば、寝返りの練習に励んでいます。できそうでできないのが悔しいことを教えてくれたり、仰向けに戻すと「そっちじゃないよ」と表情で腹ばいになりたいことを伝えたり、それ以外にも、私をキョロキョロと探し、目が合えばよく笑い、一緒に遊べば「キャッキャッ」と声を出して大笑い。

感情が広がってきているので、楽しい、嬉しい、悲しい、淋しい、プンプン…など、いろいろな表情や態度が見られるようになってきました。

また、今まで以上に娘はサインを出して、自分の希望を伝えてくれるようになりました。こんなやり取りをしていると、「確かにこの時間は存在しているのに、娘はこの日々をすっかり忘れちゃうのだな」と少し淋しくも思えてきます。

当然ですが、私も自分が子どもの頃の記憶はなく、まして、赤ちゃんの頃の思い出など、育ててくれた母に申し訳ないほどないのです。しかし、出産を機に驚くような経験をしました。

平日の昼間、母が家に来てくれる日が増えました。孫である私の娘のことをとても可愛がってくれています。その声かけの優しさ、関わり方、遊び方の温かさを見ていると、まるでタイムスリップしたような感覚になりました。

母がどう私を育てたかを見ているようだったのです。「大事に育てられた」という意識はもともとありました。しかし、その言葉以上に、ありありと「こんなふうに私のことも大事にしてくれたんだ」という実感が湧いてきたのです。

母から当時の話を聞く機会も増えました。私が長女として淋しくならないように、次女が寝ている隙にふたりで遊ぶなど、私の知らない特別な時間がたくさんあったことを知ったのです。これも、私の心を満たしてくれました。

『長女だから甘えるのは苦手』と自分にレッテルを貼っていましたが、私はたっぷり母に甘えて育っていたようです。小さな私は母との特別な時間をさぞ嬉しく思っていたのだろうとニンマリしてしまいました。

思い出せないピースを見つけた私は自分が子どもに戻り、母に抱きしめられたような幸せな気持ちになりました。そして、ふと、子どもの頃の記憶が消えてしまうのも良いものだなと思えました。

自分が大人になって初めて、自分が母からどんなに大事に育てられたかを改めて知る、そういう人生の大きなサイクルがあることを知ったように思います。

これは出産の有無に関わらず、いつかそれを知る瞬間は誰にでもあるように思います。どこかでアルバムを整理したり、何かの折に聞いたりするかもしれません。私たちは生きている限り、何かのきっかけで、思い出せないピースを見つけるときがやってくるのだと思います。

娘は必ず私と過ごしたこの日々を忘れるでしょう。そして、私自身もこんなに愛おしい日々をいつか忘れてしまうのかもしれません。それでも、娘が母になるときやまた違ったタイミングで、思い出せないピースが帰ってくるような気がするのです。

ピースを揃える必要があるのかと聞かれたら、その必要もないように思います。しかし、私の場合、ピースが揃うたびに自分の人生が豊かであることを再確認し、自分の人生を好きになれている気がします。

思い出せないピースは子どもの頃だけでなく、学生時代や社会人になった頃、つい数年前のことなど、さまざまです。

ふと手紙を読んだり、ふと思い出の場所に行ったり、少しのきっかけで大事なことを思い出すこともあります。そうやって、大切なピースがすっと現れて揃っていくことで、自分自身がもう一度つくられていくような気がします。

私の『やりたいことリスト』の中には、インタビューを通して人生をリフレーミングする「ライフリフレーミング」というものがあります。これは私がつくった造語ですが、人に話すことで自分の大事なものを思い出したり、自分の人生もなかなか良いものではないかと思えたりすることがあります。Ana Letterの姉妹版として、いつかそんなこともやっていきたいなと思っていたことを、ふと思い出すことができました。

障がいのアナの活動を応援する

WRITER

小川 優

大学で看護学を学び、卒業後は藤沢市立白浜養護学校の保健室に勤務する。障がいとは社会の中にあるのでは…と感じ、もっと現場の声や生きる命の価値を伝えたいとアナウンサーへ転身。地元のコミュニティFMをはじめ、情報を発信する専門家として活動する。

RECOMMENDおすすめ記事