コラム

むぎむぎ通信 vol.1「見えなくなる」

新しく、代表が書くコラムとして、柔らかく紡ぐ「むぎむぎ通信」をはじめます。

Ana Letterには、私のプロフィールを載せていますが、それを読んでも、なかなか人柄までは分からないと思うので、今日からはじまる『むぎむぎ通信』を通して、私のことも知ってもらえたら嬉しいです。

さて、昨年10月に娘を出産してから、毎日が驚くほどあっという間に過ぎていきます。仕事をしていたとき、一日あれば、いろいろなことができました。今は気がつくと、時計の針は午後4時をさしています。産後すぐは「今日も何もできなかった」という気分になっていましたが、今は「今日も娘と存分に過ごしたな」と満たされる日々です。

生まれてから、生きることがどんどん上手になっていく娘。目や手を使うようになり、できる表現を駆使して、自分の希望を伝え、いろいろなことを私たちに教えてくれます。

「あーう」「んぐー」とたくさんお喋りをし、私を見つけてはニコッと笑顔を見せる。家の中にある『線』を見つけては楽しみ、ときに「なんだかしっくりこない」と戦い、娘は毎日毎日、新しい世界に触れることをがんばっています。私の生活は、そんな娘を褒めて褒めて褒め続ける、とても平和な日々です。

「今のオナラは立派だったね!がんばったね!」と平和に過ごしていると、平和が当たり前になります。外の世界でも「可愛いね」「すごいね」「がんばってるじゃん」と、誰もが生きていることをお互いに褒め合っているように感じてくるのです。

社会に課題を感じて、Ana Letterをつくりましたが、もうそれをやらなくても平気かなと感じてしまうほど、私の出会う日々は穏やかになってしまいました。

先日、友人と会いました。「インクルーシブな社会が当たり前になったらいいよね」と、違う側面からアプローチをしている同志です。頭の中がすっかりお花畑になっている私は、彼女から聞く『日常』に驚きました。社会は何も変わっていなかったのです。

当然といえば、当然です。子育て中心の生活になってまだ3ヶ月。3ヶ月で社会がコロッと変わるわけもありません。

『見えなくなる』とは、まさにこのことだと思いました。見ないようにするから『見えなくなる』のではなく、目を開いていても、自然と『見えなくなる』のです。そして、不思議と見えなくなれば、本当に見えなくなってしまいます。私の目もこうなるのだと、何とも不思議な感覚でした。

皆さんは、どんな今日を生きていますか?

誰かの穏やかな日々と並行して、「今日も伝わらなかった」「少し悲しかった」「明日が不安」という日々があります。

自分以外のひとの暮らしが見えないことは、いけないことではありません。ただ、見ようと思うこと、知ろうと思うこと、能動的に意識を向けていくこと、これが大切だと思います。

とくに、福祉の分野は自分が関わらなければ、関わらずとも生活できてしまう分野です。だからこそ、障がい福祉、高齢者福祉、子育て、貧困…いろいろな分野がありますが、意識的に目を向けて、意識的に近づくことが大切です。

目を開いているだけでは見えなくなる世界。少し近づくことから、つながってくると思っています。自分の暮らしとは違う暮らしを知る一つのきっかけとして、このAna Letterをつかってください。Ana Letterの中にはたくさんのインタビューがあり、そこには、たくさんの人生があります。

ひとの人生を少し分けてもらい、自分の人生を少し豊かにしていく。そんな素敵な時間をAna Letterで味わってもらえたらと思います。

生後3ヶ月の娘は、オナラをするだけで褒められます。彼女の一日は、朝起きたことを褒められて始まり、夜は寝たあとに「寝られたね」と頭を撫でて褒められます。大きな声で泣いたあとも、泣いて呼べたことを褒められます。これは赤ちゃんだけの特権ではないと思っています。

朝起きて、一日を過ごし、夜を迎えられること。私たちはそこに「何をしたか」を求める傾向がありますが、何をしたかではなく、今日を生きただけで100点分がんばっています。そこからのがんばりは追加点です。

これは年齢や障がい、立場なども関係なく、すべての人にいえること。生きているだけで「すごいね」「がんばってるじゃん」と誰もがお互いに褒め合える社会を早くつくっていきたいですね。

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WRITER

小川 優

大学で看護学を学び、卒業後は藤沢市立白浜養護学校の保健室に勤務する。障がいとは社会の中にあるのでは…と感じ、もっと現場の声や生きる命の価値を伝えたいとアナウンサーへ転身。地元のコミュニティFMをはじめ、情報を発信する専門家として活動する。

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