コラム

マスクで知った、ときめき

マスクの有用性よりも、人として生きる大切なことを学んだ

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皆さん、こんにちは。小川優です。

今回は、最近出会った「ときめき」の話をしていきます。

わたしとマスク

マスクの流通は、つ復活するのだろう…。

冬に購入した、使い捨ての不織布マスクも、もうすでに10日も持たないかも知れません。声を使う仕事をしているため、マスクは必須で毎年箱で購入していました。今年も変わらず、お気に入りのマスクを購入し、追加で買った方がいいか、いや3月になればもうインフルエンザも大して流行らないだろうから、今年はこのひと箱で持たせよう、そう思った1月でした。花粉症ではない私は、乾燥シーズンとインフルエンザシーズンさえ乗り越えれば、マスクとはおさらばですし、お気に入りのマスクは比較的高価なものであったため、追加購入を避けました。

中国の武漢市での新型コロナウイルス感染症の話題は入っていましたが、対岸の火事とはよく言ったもので、過去のSARSやMERSを連想し、これほどまで世界中で蔓延することを想定しませんでした。

マスクがなくなるという事態が発生した時も、3月まで我が家は持つという安心感があり、それ以降のマスク不足を想定しなかったのも事実です。少し笑えてくるのは、まだ対岸の火事であった頃、我が家にはお気に入りのマスク以外に、ちょっと耳が痛くなるから…と使うのをやめたマスクが50枚ほど、外出時に持ち歩けるように…と買った個包装されたマスクが30枚ほどありました。「マスク不足」というニュースが入った時に、その合計80枚ほどのマスクを簡単に手放してしまいました。家族の知り合いがマスクがなくて困っていると聞いたので『これ使ってないマスクだから、全部あげちゃって。ちょっと耳痛いかもだけど、ごめんなさいって言ってね』と。

布マスクを否定する心

さて、そんなわけで、マスクがありません。

布マスクの有用性はさまざま語られていて、もちろんウイルスを99%ほどカットする、と作られたものとの比較はできないと思っています。ただし、口を触らない、ある一定の飛沫は防げる…事実は事実でしかないと感じています。「ないよりはいい」そう語られてしまうのも仕方がないように思いますし、そう語られてしまうのも違うように思います。政府がすすめる『布マスクの配布』が余計に布マスク論争を激しくしたのはいうまでもありません。布マスクをつけるだけで、布マスク推奨派という印象を持つ方がいることも、理解はできるけど、不思議でした。

人はいつでも、どっちのチームであるか、どっちの仲間なのかとそこに心理がいくのでしょうか。新型コロナウイルスに関して、避けようのない人間の心理が混ざっているな…と私自身も、私の心に少しうんざりとしていた頃、ふとマスクに出会いました。

好きな布、好きなデザイン、好きなもの

そのマスクは、白地に小さなイチゴと葉っぱが描かれた布、ピンクの紐…、まさに私の好みのドストライクでした。

なんて可愛いものが目の前にあり、しかも、誰かに使ってもらおうと手作りした作り手さんがいる…有用性だけでいえば、そこにはセンスもデザインもいらなくて、何の布でも、何の糸でも、何の紐でもいいことになります。でも、そこには作り手さんの心が見えるように思いました。モノをつくり、モノを届ける…そして、私のところへ届いた時には、可愛く作られたシリーズのひとつではなく、私に出会うために作ってくれたのではないかと錯覚するほど、大切すぎる1枚になっていました。

これは手作りの良さでもありますが、たとえ工場でつくられ大量生産されたものであったとしても、「お気に入り」が与えてくれる「ときめき」は想像をしえないものであると思っています。特に、毎日が単調化し、不安なことが続くと、私たちはその「ときめき」から離れていくのだなぁと気づきました。いつもなら、春になり、春物のワンピースが買いたい、今年はどんなデザインの服が出ているのだろう…靴も新しくしたい、可愛いバッグも欲しい…無駄遣いと怒られるような欲求は、簡単に我慢できるものに変わっていくのだなと知りました。

ふと、今回のマスクとの出会いは、大切な小物を見つけた、大切な買い物をした、私だけにしか分からない「ときめき」との出会い。久々に見ているだけで嬉しいものを手にし、人間で良かったなと思ったのです。「ときめき」探しは、心が生きる上でとても大切なことだと思います。

生活に「ときめき」を

これは永遠の課題のように思います。

私の生活は裕福ではありませんが、好きなときに好きなモノを食べ、好きなモノを買い、好きな時間を過ごすことができていました。今回のちょっとした不自由さで、より一層、変化のある自由な毎日が「ときめき」であることに気がつきました

考えなくてはいけないなと思ったのは、その「ときめき」を以前の生活の中でも感じられていなかった方が大勢いるであろうことです。

単調が好きという方もいますが、心が生きるための、変化であったり、面白さであったり、このマスクのように心をときめかせる出会いであったり…その価値というものを大事にして、生活は命が生きる最低限度のものではなく、心が生きるゆとりのあるものにしていかなくてはいけないなと、気づかせていただきました。

WRITER

小川 優

大学で看護学を学び、卒業後は藤沢市立白浜養護学校の保健室に勤務する。障がいとは社会の中にあるのでは…と感じ、もっと現場の声や生きる命の価値を伝えたいとアナウンサーへ転身。地元のコミュニティFMをはじめ、情報を発信する専門家として活動する。

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