挑戦の先に描くのは「聞こえない」と言える社会(デフバレー選手 中田美緒さん)

聴覚障がいのあるアスリートを対象とした国際的なスポーツ競技大会「デフリンピック」。100周年を迎える記念大会が、今年11月15日から東京で初めて開催されます。その舞台に立つのが、東海大学バレー部出身で、現在も仕事と競技を両立しながらプレーを続ける中田美緒選手です。
サッカーからバレーへ転向した中学時代から13年。仲間とともに歩み、大学での試練や社会人としての両立を経て、今、東京デフリンピックへ挑もうとしています。「聞こえなくても挑戦できる姿を見せたい」「子どもたちに夢を届けたい」中田美緒選手は熱い想いを語ってくれました。
(※この取材は、中田選手のお姉さんが手話通訳をしてくださいました)
出会いと挑戦
最初に、バレーボールを始めたきっかけを教えてください。
バレーボールを始めたのは中学1年の6月頃です。それまでは小学校からずっとサッカーをやっていました。ところがろう学校に転校すると、ろう学校は生徒数が少ないこともあり、サッカー部はなく、選べる部活は野球、卓球、バレー、美術部の4つしかなかったんです。母がバレーをやっていたこともあり、私もバレー部に入りました。
最初はサッカーとバレーを両方やっていたのですが、サッカーは耳が聞こえる子たちとのコミュニケーションがうまくいかず、だんだんと楽しめなくなっていきました。一方でバレーは手話でやりとりができる。「やはりコミュニケーションが一番大事だ」と感じて、バレーボール一本に絞りました。そこから13年になります。
これまでの試合で一番印象に残っているのは?
大学4年生のときの、最後の試合です。東海大学は日本一になった経験もある強豪チームで、ライバルが多く、自分が試合に出られるかどうか常にギリギリでした。
そのなかで、大学時代の最後の試合で、選手として、大きな大会に出られたのは本当に嬉しかったです。「4年間頑張ってきてよかった」と思える試合でした。
東海大学では聞こえる選手と一緒にプレーしていたんですよね。
はい。聞こえない選手が東海大のバレー部に入ったのは、私が初めてでした。「できない」よりも「努力をしていけば最後はいいことがある」と思えました。
はじめは、辞めたくなった時期もありました。でも、やはりバレーボールが好きで、家族や同期に支えられて4年間がんばってこれたと感じています。
今の生活とプレーの強み
デフリンピックに向けて、仕事と競技の両立は大変そうですね。
私は正社員としてフルタイムで働いています。アスリート契約の選手もいますが、私は仕事が終わってからトレーニングや練習をしています。
バレーボールは人が集まらないとチーム練習ができないので、土日はほとんど練習に費やしています。仕事、バレー、プライベートをどう切り替えるかが一番難しいのですが、「やるべきことを決めて、しっかりやる」と心がけています。
切り替えのために意識していることは?
バレーボールがうまくいかなくても、その気持ちを仕事に持ち込まないようにしています。また、疲れたときは実家に帰ってリラックスしたり、音楽を聴いたりして気持ちを整えています。
ご自身の強みや、見てほしいプレーはどんなところですか?
ポジションはセッターなので、選手一人ひとりとコミュニケーションを取ることを大切にしています。また、目でいろいろな人を見て、相手の様子もよく見る。視野の広さが強みです。
得意なプレーは、サーブです。苦しい状況のときに、私のサーブで流れを変え、自分たちのリズムをつくっていく姿を見てほしいなと思います。
心が折れそうなときなど、大切にしていることはありますか?
友だちなど、人と話すということが好きなので、バレーボールにまったく関係ない友だちと会って、美味しいものを食べに行ったり、 楽しい会話をしたりしています。
聞こえない友だちもいるし、聞こえる友だちもいます。いろいろな人と会って話すことが気持ちを楽にしてくれるので、いい意味で、バレーのことを忘れられる時間もつくっています。
人柄や大切にしていること
人付き合いで大切にしていることはありますか?
人と話すときには、ちゃんと目を合わせるということでしょうか。私は、人とのつながりをとても大事にしています。
自分が困ったときに助けてもらったり、逆に、その人が困っているときに助けたり。そういう関係が好きで、やりがいを感じられる瞬間かなと思っています。
取材前に「美緒さんは人柄が素敵だ」とよく聞きました。ご自身ではどう思いますか?
表情が豊かだと言われますね。手話がわからない人にも、表情をはっきりと表現することで、場の雰囲気を明るくすることができるのではないかと思っています。表情をはじめ、さまざまな表現を大切にしています。
デフリンピックへの想い
東京デフリンピックは100周年の記念大会ですね。意気込みを改めて聞かせてください。
東京デフリンピックは、選手にとっても応援する人にとっても、すごくいい機会になると思います。もちろん目標はチームとして金メダルを取ることですが、それだけでなく、私には2つの想いがあります。
その「2つの想い」というのは、どんな想いですか?
1つは、聞こえる人も聞こえない人も、ともに生きやすい社会をつくっていくことです。聴覚障がいは、見た目では分かりにくい障がいです。
社会のなかで「聞こえません」と伝えたとき、「じゃあ大丈夫」と、そこで会話が止まってしまうこともあります。気づかれにくい障がいだからこそ、その障がいを伝えたことで関係が途切れてしまうという経験を、私たちはしています。
これからは、どうすればお互いに気持ちよくコミュニケーションを取れるのか――それを一緒に考えられる社会にしていきたいと思っています。そして、誰もが自然に「聞こえない」と言える社会に。そんな未来を、デフリンピックを通してつくっていきたいです。
その「聞こえないと言える社会」という言葉、とても印象的です。
デフリンピックをきっかけに、「聴覚障がいにも、いろいろな人がいる」ということを知ってもらえたら嬉しいです。
そして、もう1つは、聞こえない子どもたちに、夢を与えられるようなロールモデルになることです。私が小さい頃、憧れる耳の聞こえない選手がいなかったのです。だからこそ、「こんなふうに挑戦したい」と思ってもらえる存在を目指しています。
大会でのプレーそのものが、社会へのメッセージにもなりますね。
社会には「耳が聞こえないから話せない」など、そういう思い込みもまだ多いと思っています。この機会に、聴覚障がいのある人とはどんな人で、どんなふうにコミュニケーションを取っているのかを知ってもらいたい。また、デフスポーツにはいろいろな競技があることも知ってもらいたいです。
耳が聞こえなくてもやりたいことに挑戦できることが、とても大切だと感じています。その思いを、子どもたちにも大人たちにも伝えていきたい。そのためにも、東京デフリンピックで、自分たちのプレーを見てもらい、パワーや勇気を届けていきたいと思っています。
インタビューを終えて
中田さんの話を聞きながら、東海大学で聞こえる選手とともに切磋琢磨した日々、このインタビューでは語られていない多くの葛藤や努力、そして感動があったのではないかと想像しました。挑戦とは、特別な一日だけに生まれるものではなく、日々の積み重ねの中で静かに育っていくものなのだと感じます。明日から始まるデフリンピックは、その積み重ねが形になるひとつの姿。今回の大会が、社会が変わり始める小さなきっかけになることを願っています。
「聞こえません」と伝えた瞬間に会話が止まってしまう。この経験は、多くの聴覚障がいのある方がしています。「ともに生きる」とは、手話や筆談といったツールが整うことだけではなく、相手の気持ちを想像し、一緒にできることを考え、同じ社会の中で自然に会話が行き交うことだと思っています。聴覚障がいへの理解が進むことは、その一歩になるはずです。そして、関わっていくことで、それぞれが感じていた「差」や「違い」も、きっと大きく近づいていくのではないでしょうか。
明日から東京デフリンピックが始まります。私もひとりのファンとして、中田美緒さんを心から応援しています。彼女のプレーが、多くの人の心に灯りをともしますように。そして、「聞こえない」と自然に言える社会への一歩が、この大会を通して踏み出されることを心から願っています。







