「ここにいるよ」というあたりまえを伝えたい(Rock54♪ 津島徹さん)

2022年に国連は日本政府に「分離教育の中止」を求める勧告を出しました。勧告を受けながらも、なかなか改善されない教育現場に不満を感じて、津島徹さんは教員を辞め、新しい取組みを始めました。退職後にスタートさせたツーマン塾では、インクルーシブ教育の理念に則って、一人ひとりの子どものニーズに沿って「合理的配慮」をおこない、学校生活や社会生活のなかで困難さを抱えている子どもの成長を支援し、自分らしく前向きに生きていけるように後押しをおこなっています。
明日5月31日は、藤沢市民会館周辺で「ここでくらっそ(第2回文化芸術フェスタ・藤沢)」というイベントが開催されます。そこで津島さんは自身の音楽バンド「Rock54♪」のステージに知的障がいのある人たちを招待して、一緒にライブを盛り上げよう!と呼びかけています。「ここにいるよ、ということを伝えたい」津島徹さんのこれまでの取組みや今回のステージに向けた想いを伺いました。

明日のイベントである「ここでくらっそ」のステージに出ることになったきっかけを教えてください。

付き合いの長い友人から、藤沢市民会館の建て替えに際して市民会館をもっと文化と芸術の発信の場にしていくために市民の声を届けようと市民団体が取り組んでいることを聞きました。
その後、ご縁がつながり、イベント「ここでくらっそ」の実行委員の方から「音楽をやっているなら、ステージにあがれば?」とお声がけをいただいて、Rock54♪もステージで演奏できることになりました。

どのようなステージにしようと準備されているのですか?

せっかくやるのなら、障がいのある人たちも一緒に楽しめるようなステージにしたいなぁと思っています。
「お客さん」として聴くことを楽しんでもらうのもありですが、一緒に歌ったり、踊ったり、楽器を持ってきて鳴らしたり…それぞれの楽しみ方でステージに参加してもらいたいなと思い、準備をしています。

Rock54♪は、藤沢市自閉症児・者親の会のイベントなどでも演奏をしていると思いますが、どのような演奏を大切にしているのでしょうか?

親しみやすく一緒に楽しめる演奏です。障がいがある人たちの団体のイベントで、プロの音楽家を呼ぶこともあるそうですが、そうすると、演奏の邪魔をしてはならないため、どうしても障がいのある人たちにかしこまって聴くことを強要するような感じになるようです。
それはそれで良さはあるのですが、私たちの場合は、その場、その場の障がいのある人たちのノリに合わせて、演奏を進めていきます。なかには、演奏しているこちら側に一緒に参加する人もいるし、自由に踊ったり、自由に音を出したりするのもOKですし、むしろ大歓迎です。
今回のステージも、まさにそういう空間になったらいいなと考えていて、当日、ステージにあがってきてくれるかは分かりませんが、「楽器を持って会場においでよ」と声をかけています。

ステージに向けた練習もされているそうですが、どのような様子ですか?

今回、一緒にライブを盛り上げようと声をかけている方たちのなかには、これまでに私たちのライブに来たことがあって、一緒に音楽を楽しんだ経験がある人たちもいます。なので、私たちRock54♪のメンバーにも慣れているというベースがあります。
ステージに向けては、私たちのバンドの練習を公開練習会としておこない、自由に来て参加してもらっています。練習をしている市民センターの音楽室では、楽器が置いてあるのを好き勝手に鳴らして楽しんだり、カーペット敷きの床でゴロゴロしたりしながら音楽を聴いたり…、各々、楽しみながらくつろいでいる感じですね。

このステージを通して、地域の皆さんに伝えたいメッセージがあるのでしょうか?

そんなに強いメッセージではありませんが、「ここにいるよ」という感じですかね。
福祉施設主催のイベントだと、障がいのある人も参加することがあたりまえになっていますが、そのほかの一般のイベントでは「障がいのある人が参加する」という想定がなく、あたりまえの軸が「障がいのある人は来ない」になっているように感じます。
たとえば、今回の「ここでくらっそ」のプログラムを見ても、イラストにはさまざまな人が載っていますが、車いすに乗っている人や白杖をついている人はいません。もちろん、イラストにないからいけないという意味ではありませんが、市内の多くの催しで、障がいのある人があたりまえに参加できる体制が整っていないことが多いです。
今回のステージでは、市民という枠組みのなかに、あたりまえに障がいのある人たちがいるのだと、感じてもらえたらと思っています。

自然な感じの「ここにいるよ」という感覚は、とても大事ですよね。

比較的、藤沢市は障がい者理解は進んでいるほうだとは思うのですが、それでも、障がいのある人たち側からすると、やはり遠慮しながら社会に出ているようなところがあります。
実際、地域を見ても、障がいのある人が自由にひとりで散歩しているような状況はほとんどなく、親御さんやガイドヘルパーの人たちが付き添っていることが多いです。介助者がいない状態で、自分ひとりで好き勝手に出かけられないということは、まだまだ社会が成熟していないことのあらわれの一つで、もっともっと将来に向けて、市民の誰もが自由に活動できるために何が必要なのかを考えていけたらいいなと思っています。
障がいのある人たちが地域のなかに「いる」ということがあたりまえになれば、対応が違ってくるのかなと思いますね。

本当ですね。ひとりでふらっと出かけて、気兼ねなく誰かのサポートを受けられることがあたりまえになってほしいですね。どのようにしたら、「いる」という感覚が社会のなかで根づいていくと思いますか?

支援者が他者の目をあまり気にしないで、「普通に参加する」というのが大切かもしれません。
音楽サークル以外に、障がいのある若い人たち4、5人と一緒にランニングサークルもやっていたのですが、そのとき、一般市民に無料開放されているコースをみんなで走っていました。
使っていたのは、秩父宮記念体育館の観客席後ろにあるジョギングコースです。そこは一般開放されているので、当然、障がいのある人たちが使ってもいいのですが、私たちが練習を始めるまでは、障がいのある人はほとんどつかっていませんでした。

練習をしていると、次第に「いる」というのが伝わっていったのでしょうか?

そうですね。私たちのサークルでは、障がいのある若者たちに自由に走ってもらっていました。当然、同じコースをつかう市民ランナーの方は、障がいのある人たちと走った経験もないので、最初は戸惑ったと思います。
なかには、練習のときに「なんだこいつは」と文句を言ってくる人もいました。本人たちに言うのではなく、先導して走っているように見える私や練習を見に来ている親御さんに「なぜ、勝手にひとりで走らせているのか」と文句を言ってくるわけです。
そのとき、私は「あ、どうもお世話になってます!」と平気な顔をして、そのまま走らせていました。親御さんはとても恐縮して「ごめんなさい」と言って、走らせるのを止めようとするのですが、私はその親御さんのほうを止めて「気にしなくていいですよ。何かあったら、そのときに頭を下げればいいから、本人たちにプレッシャーをかける必要はないです」と言ってきました。
障がいのある人が一緒に走っているだけで迷惑なんて、おかしいでしょ?ただその状況も、練習を続けていくうちに、だんだんと変化が出てきたのです。

どのような変化ですか?

まず、障がいのある人と走るのが嫌な人は、その練習時間に来なくなってきました。「あの時間は、ちょっと叫びながら走っている人がいる」「走っているときに横に並ぶんでくる人がいる」など、認識され始めたので、それが嫌な人は一緒に走らなくなるのです。
それはそれで仕方がないことかなと思います。しかし、それと同時に練習日であることを知っていても気にせず、一緒に走る人も出てきたのです。積極的に関わるというよりも自然な形で空間をともにして練習をする感じです。
なかには、障がいのある若者が更衣室の利用が終わってうろうろしていると、それを見つけてくれて、「一緒に走っていた若い男の人、困っているみたいですよ」と教えてくれるようになってきました。こういう自然な関わりが大切だなと感じています。

津島さんは、教員を退職したきっかけが2022年の国連からの「分離教育の中止」を求める勧告が関わっているとのことですが、その想いも伺っていいですか?

2022年に「分離教育の中止」を求める勧告が日本政府に出されたのですが、文科省も教職員組合もその勧告を受けて、具体的に実行する様子ではなかったため、「ここにいても自分が思っているようにはならないな」と考え、退職を決意しました。
私の教員生活は、中学校、特別支援学校、特別支援学級と場所を変えて、その勧告が出たときは中学校の特別支援学級で仕事をしていました。特別支援担当の教員の役割は、特別支援学級にいる生徒たちを通常級の生徒と同じように扱い、同じ場所で勉強できるように働きかけていくことだと思っていました。それは、特別支援学級だけでなく特別支援学校も同じで、「交流」という限られた機会だけでなく、地元の学校に行けるときは行って、自由に参加できるようになる未来のために仕事をしていました。
勧告を受け、日本もほかの国のように、生徒たちを障がいのあるなしで分離して教育する「分離教育」をやめて、誰もが同じ場所で必要な支援を受けながら学べる「インクルーシブ教育」への転換が進められると思いましたが、とても残念に思いました。

そこで、2023年に辻堂駅周辺でツーマン塾を開講したのですね。

学校の外から働きかけていきたいと考えたのと、インクルーシブ教育の実現には、特別支援学級・通常級という枠組みにとらわれず、個々に合わせた配慮や学習が必要だと考えたからです。
特別支援の枠でなくても、明らかに配慮が必要な子たちもいます。その子たちのなかには、勉強ができず、友だちともうまくいかず、置き去りのようにされたまま卒業していったり、不登校や登校拒否になってしまったりしていることもあります。
教育現場もできる限りを尽くしていると感じますが、まだまだ、個別の配慮が不十分のまま後回しにされているように感じます。その溝を埋めたく、個々に合わせたアプローチをする「ツーマン塾」を開講しました。

あたりまえに同じ空間で暮らし、学んでいけることとともに、個々に合わせた配慮や本人のスキルアップも大切なのですね。

先にも話しましたが、大前提である「いる」というあたりまえを、あたりまえに捉えられるようになってもらいたいなと思っています。
「市民」と考えたときに、障がいがある人たちがいることを想定できていなかったり、「学校の一員」と考えたときに、特別支援学級や特別支援学校が含まれなかったりするのではなく、あたりまえは「いる」状態なのですから、「ここにいるよ」ということを感じてもらいたいです。
出演告知
Rock54♪は、5月31日(土)「ここでくらっそ」前庭ステージにて、14:10〜14:25に会場を盛り上げます!


インタビューを終えて
「あたりまえ」の軸が、障がいのあるなしによって分離されている社会になってしまうと、「いる」ということに違和感を感じてしまうのかも知れません。社会のなかには、子どもや大人がいるように、さまざまな状況・状態の人がいて当然です。
どこか「配慮が必要なら、分離」「みんな一緒なら、配慮なし」という二択を考える人もいるように思いますが、私たちの日常は、みんなで一緒に暮らしていながら、それなりの配慮をする「みんな一緒で、配慮あり」を自然とやっています。その「自然」がもっと柔軟に広がればいいなと思っています。
明日のイベントに向けて練習を重ねている音楽サークルは、イベント後も定期的に開催していく予定だそうです。詳細は、津島さんが開講している「ツーマン塾」のお問い合わせフォームよりご相談ください。