インタビュー

リトルベビーからはじまり、地域の方々と一緒に、笑って子育てできる社会へ(NPO法人pena代表 坂上彩さん)

「リトルベビー」と呼ばれる、小さく生まれた赤ちゃん。我が子の誕生はそれだけで喜びと不安があるものの、リトルベビーの誕生には孤独や自責、さまざまな感情と負担が伴います。

penaには『Each story,One future』というミッションがあり、これは、リトルベビーとその家族が歩んできた個々のストーリーを紡ぎながら、地域の皆さんとともに未来を築くというものです。「地域の方々と一緒に、笑って子育てできる社会にしていきたい」と語る、NPO法人pena代表の坂上彩さんにお話を伺いました

「リトルベビー」とはどのような赤ちゃんのことをいうのでしょうか?

坂上彩さん
坂上彩さん

​2,500g未満で生まれた赤ちゃんを「低出生体重児」と呼びます。その低出生体重児のなかにも、極低出生体重児(1,500g未満)、超低出生体重児(1,000g未満)というように、学術的には分かれています。

「低出生体重児」というと言葉の硬さもあるため、「リトルベビー」と親しみを込めて呼んでおります。

penaの活動を教えてください。

坂上彩さん
坂上彩さん

​私たちの活動には3つの柱があります。

一つ目は「当事者支援」で、当事者のご家族、赤ちゃんたちを支援するために、交流会や勉強会、グループLINEなどをつくって、情報交換を気軽にできる場をつくっています。

二つ目は「普及啓発」で、小さく生まれた赤ちゃんの写真展が一番多い活動になります。ほかには、学会や学校、地域団体の集まりなどで、私の経験をお話させていただくこともあります。地域の方たちに、広く、リトルベビーとご家族の想いを知っていただくための活動です。

三つ目は「行政などに声を届ける」です。これは行政の支援や制度の強化を目的にした活動で、はじめは県内を想定していましたが、今ではありがたいことに、国も声を聞いてくださるようになりました。国、県、各自治体にリトルベビーを育てる皆さんの声を届けています。

penaはどのようなことを大切にしていますか?

坂上彩さん
坂上彩さん

一般的な子育てと同じで、リトルベビーの状況や様子は一人ひとり異なります。なので、声を届けるときには、できるだけ多くの方に当てはまるものをお願いするようにしています。

また、小さく生まれたことで配慮やケアは必要になるのですが、決して特別扱いをお願いするのではなく、生きていく上で必要なことを伝えるようにしています。

坂上さんがpenaを立ち上げたきっかけの一つに、ご自身の出産があるかと思いますが、その頃のことを教えてください。

坂上彩さん
坂上彩さん

私は、2018年に娘を低出生体重児で生みました。小さく生まれてしまう出産の経緯はさまざまあるのですが、私の場合は急な搬送後、次の日に出産になりました。生まれたときの娘は370gで、亡くなってしまう可能性もだいぶ高いと言われるような状況でした。

「生きていてくれれば、それでいい」から始まった子育てだったのですが、無事に退院して地域での生活が始まると、守られていたNICUと違い、想像以上の苦しさがありました。もちろん、楽しかったことや幸せなこともたくさんあったのですが、思い描いていた出産・子育てとは異なっていましたし、母子手帳に書けない苦しみがあるなんて、想像もしていませんでした。

具体的にどのような苦しさだったのか、聞いてもいいですか?

坂上彩さん
坂上彩さん

子育て広場に行けば、 子どもの発達や置かれている環境の違いを感じて、悲しくなりました。また、 行政や専門職の方はわかってくれるのかと思ったら、「こんなに小さい子は初めてだ」と言われ、相談先も見つからず、本当に苦しかったですね。

産後でメンタルも不安定な時期だったこともあり、「周りの人に理解してもらえない」などとは思えず、「私が早産になってしまったのが全部悪い」「お腹の中で育ててあげられなかったのがいけないのだ」と、自分を責めるきっかけになってしまいました。

その後、娘が4歳になる頃に、神奈川県にもリトルベビーハンドブックがほしいと思ったのが、penaを立ち上げる大きなきっかけになりました。

リトルベビーハンドブックとは、どういったものなのでしょうか?

坂上彩さん
坂上彩さん

低出生体重児用の母子手帳サブブックです(参考:かながわリトルベビーハンドブック)。

penaを立ち上げる前から、他県にリトルベビーハンドブックがあるのを知っていました。私は母子手帳を見るたびに地域から認められていないように感じていたので、「リトルベビーハンドブックがある県は、小さく生まれた子を行政が認めているのだな、すごいな」と感じていました。

徐々に、さまざまな自治体でママたちがサークルを立ち上げ、リトルベビーハンドブックをつくる動きが広まっていきました。初めは勇気がなかった私も、親しくしてきた2人のママに声をかけ、3人でpenaを立ち上げました。

penaの当初の目的は、リトルベビーハンドブックを神奈川県にもつくること。そして、頼る人がいなくてつらかった経験をもとに、「自分たちの経験を後輩ママに伝えられたらいいね」「相談相手がいない人たちに居場所をつくりたいね」と、当事者支援にも力を入れてきました。

同じような状況のお母さんたちと知り合うのは難しいものなのでしょうか?それとも、出産した病院などで知り合えるものなのでしょうか?

坂上彩さん
坂上彩さん

私の場合は難しかったですね。NICUでは一人ひとり症状や状況が違うため、その場で周りの家族に声をかけるような気持ちにはなれませんでした。

つながりが生まれてきたのは、出産後に始めたInstagramです。出産して少し経った頃、県立こども医療センターでもNICUのことをもっと発信していこうという動きがあり、先生方に恩返しがしたいと思い、Instagramを始めました。

始めてみると、同じ病院に通うママから声をかけてもらえるようになり、そこから、2人、3人と話せるようになっていった感じです。

顔見知りができると、気持ち的に違いましたか?

坂上彩さん
坂上彩さん

「おはよう」という相手ができただけで、すごく気が楽になりました。

【家を出る】【病院に着く】【先生と看護師さんと話す】【帰る】という生活を延々と数ヶ月繰り返していたので、それ以外に「おはようございます」「これからお昼ですか」といった会話があるだけで、なんだかホッとするというか、楽しみができた感覚がありました。

日常が広がっていくような感じですね。penaの活動に「地域の方々に伝える(普及啓発)」が加わっていった理由は何だったのでしょうか?

坂上彩さん
坂上彩さん

リトルベビーの活動をしている先輩方は、世界早産児デー(毎年11月17日)に合わせて、小さく生まれた赤ちゃんの写真展をして普及啓発をしていることを知り、私たちの団体もやるようになりました。

一回やってみると、とても評判も良く、リトルベビーを育てているママたちの応援にもなることを知りました。「小さかった我が子が大きくなったよ」ということも知ってもらいたいし、今まさに小さい赤ちゃんを育てているママには未来が見える安心感を届けたいと思っています。また、写真展自体が交流の場にもなることもあり、さまざまな地域で実施していきたいなと感じました。

10人に1人はリトルベビーとして生まれてきます。私自身、活動を始める前はその数字をとても少ないと思っていたのですが、活動を通して、決してそれは少なくないということを知りました。また、写真展も「遠くて行けないから近くでもやってほしい」という声をもらい、啓発していくことの大切さを実感して、今ではさまざまな場所で実施することを頑張っています。

penaの活動を通して、どのようなことを感じましたか?

坂上彩さん
坂上彩さん

「声が届くことを知った」というのが大きいです。政治に疎く、「どうせ何を言っても変わらない」と思っていた私が、リトルベビーハンドブックや搾乳のこと、リトルベビー支援制度や県との連携協定など、自分たちが動くことでちゃんと耳を傾けてくださる方がいることを知ったのが、とても大きな出来事でした。

「一歩、勇気を出すことで変わるかもしれない」という成功体験を積ませていただいたことで、周りのママたちにも「つらいときは無理しなくていいけど、一歩進めそうになったら一緒に声をあげてみよう」と言えるようになりました。少しずつ、自分が声をあげるだけでなく、いろいろな環境にいるママたちが声をあげられるように…と考えるようになってきたように思います。

地域の皆さんに伝えたいことは何でしょうか?

坂上彩さん
坂上彩さん

リトルベビーに限らず、社会にはいろいろな子がいるのが当たり前です。小さく生まれたリトルベビーは大きくなっていくので、社会のなかでは見えにくい存在になります。

リトルベビーで生まれるとケアや配慮が必要な子は多いのですが、障がいや発達の遅れがない子もたくさんいます。仮に障がいがなかったとしても、リトルベビーとして生んでしまったとずっと心のなかに残っている方も多いです。「出産のときに一緒にいられなかった」「苦しい思いをさせてしまった」など、言わないだけで、近くにそういう経験をした方が多くいることが知ってほしいなと思います。

また、一緒に地域で暮らす子たちがそれぞれのペースでそれぞれ笑って過ごせるように、境界線を引かないでほしいなと思います。地域の方々と一緒に、笑って子育てできるのがゴールであり、penaがない社会がゴールです。地域の皆さんには特別扱いではなく、いろいろな子がいることを当たり前に思ってほしいです。

「特別扱いではなく、いろいろな子がいることが当たり前」、本当にそうですよね。

坂上彩さん
坂上彩さん

娘には、知的障がいと自閉症があります。身体の健康はある程度、守れているのですが、「では、生きやすさは?」というと、さまざまな面につらさがあります。

リトルベビーで生まれると、発達障がいの確率は3、4割と言われていて、そこにグレーゾーンの子も含めるともっと多くなります。必ずしも、出産が原因ではないかもしれないけれど、「私が小さく生まなければ、自閉症にならなかったのかな」という気持ちは、たぶん永遠に残ると思っています。

定型発達の子も一人ひとりに合わせた対応が必要なのと同じように、リトルベビーも一人ひとりの特徴に合わせた対応が地域のなかで当たり前になってほしいなと思っています。

リトルベビーの時期の大変さと、そこから始まるさまざまなことがありますね。

坂上彩さん
坂上彩さん

「リトルベビー」は、すべての始まりだと思っています。早産などで小さく生まれたことを入り口にして、何らかの障がいや病気が見つかっていくことも多いので、その始まりの時期をケアすることはとても大切だと考えています。

リトルベビーハンドブックという、通常の母子手帳では苦しいママたちに向けた配慮のあるサブブックがあることを知ってもらい、広がってほしいなと思っています。

今後の目標は何でしょうか?

坂上彩さん
坂上彩さん

今のやっていることに継続すること、加えて「当事者の個別支援」に力を入れていきたいです。

オンライン交流会などとは別に、個々に合わせて、必要な情報を必要なだけお伝えできる機会をつくりたいと考えています。たとえば、「保育園の見学についてきてほしい」と言われたら、一緒に行けるような団体になりたいと思っています。

また、行政への発信としては「幅広い子たちへの配慮・支援の必要性」を声にしていきたいです。リトルベビーのなかには医療的ケアはないものの、何らかのケアが必要な子が多くいます。

「嚥下が未熟で食形態に配慮が必要」「肺が弱くて風邪をひくと治りにくい」など、医療的ケアには至らないけれど、定型発達の子よりもケアが必要な子たちへの支援制度が誕生すれば、支援の狭間に苦しむことが減っていきます。医療的ケアのある子へのケアは当然必要ですが、そうではない子にもケアが必要なことを知ってもらい、もう少し生きやすくなったらいいなと思っています。

インタビューを終えて

かながわリトルベビーハンドブック」は神奈川県の公式サイトから、すべての内容を見ることができます。必要な方に届くだけでなく、地域で暮らすすべての方に一度お読みいただきたいと感じました。

リトルベビーハンドブックを手に取ると、どのような想いで我が子を迎え、どのような葛藤や苦しさを感じてきたのかを教えてもらうことができます。また、使われている言葉や表現、そこにあるイラストからも、さまざまな状況の方を想定した優しさを感じます。「知った」と思うには烏滸がましいほど入口ですが、それでも、「知らない」で終わらせず、多くの方に知ってもらいたいと思います。

私は今7ヶ月の子を育てていますが、子育て支援センターや離乳食教室などで、リトルベビーとして生まれた子と会えていません。とくに話題にならないだけで、来ることができているのならいいのですが、そうではないような気がしています。10人に1人であれば会えているはずだよなぁと切ない気持ちになりながら、そうしない社会をつくれるようにAna Letterにできることを頑張っていきたいと思いました

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WRITER

小川 優

大学で看護学を学び、卒業後は藤沢市立白浜養護学校の保健室に勤務する。障がいとは社会の中にあるのでは…と感じ、もっと現場の声や生きる命の価値を伝えたいとアナウンサーへ転身。地元のコミュニティFMをはじめ、情報を発信する専門家として活動する。

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