「特別」ではない日常の大切さ、一人ひとりの生き方を大切にするグループホーム(アリエッティ湘南 安藤嘉章さん)
江ノ電の鵠沼駅から徒歩2分の障がい者グループホーム「アリエッティ湘南」は、2021年9月に開所して丸2年を迎えました。当初、別の場所で開所計画を進めていましたが、地域の賛同が得られず、今の鵠沼松が岡での開所となりました。
安藤さんにとって、地域の方々が抱く「障がい」に対する思いは大きな戸惑いだったそうです。障がい者グループホーム「アリエッティ湘南」代表の安藤嘉章さんに、当時の様子やグループホームで大切にしていることを伺いました。
障がい者のグループホーム、始めたきっかけは何だったのでしょうか?
当時はサラリーマンをしながら、単純な投資として不動産賃貸業いわゆるサラリーマン大家をやっていました。そのなかで、初めて住宅を借りることが難しい人たちがいることを知りました。
孤独死などの問題で契約が難しい高齢者をはじめ、障がいのある人などを住宅確保要配慮者といいます。次にアパートを増やすときにはそういう人を断らないアパートにしたいと思っていました。
そこから、障がい者のグループホームの存在を知り、単に部屋を提供するだけでなく、その人を見守り、地域社会に戻っていく事業があることを知ったのです。「断らない」だけでなく、よりその人の人生を支援できればと開所を決意しました。
障がい者のグループホームを始めるにあたり、大変だったことや驚いたことなどはありますか?
障がい者のグループホームをつくることで反対される方が大勢いることが驚きでした。僕自身は、グループホームを開所する前から、障がいのある人、ない人という区別をあまり感じていませんでした。
障がいのない人でも足の速い人や遅い人がいるように、いろいろな特徴があります。極端な話、そういった特徴の延長線上に「障がい」がある印象で、そこに線引きや区別はあまりなかったのです。
その感覚で、グループホームを開設しようと思っていたので、近隣の人が、僕が想像するよりも遥かに激しく反対されるのが驚きでした。「住民向け説明会で反対されることがある」という話は聞いていましたが、僕の感覚では説明を丁寧にすれば、伝わる話かと思っていたのです。
住民向け説明会は、どのような様子だったのですか?
現在、アリエッティを開設した鵠沼地区ではないのですが、心の根底では、障がいがある人と近づきたくないと思っている人が結構いるのだなと感じました。
障がい者のグループホームの趣旨や想いについて話している時点では、皆さんの好印象で、賛成している様子なのです。応援してくれている様子さえあったのですが、いざ開所する場所が近所となると「それは困る」と、ほとんどの方が反対側になっていきました。
良識のある人も多いので、差別的なことは言いません。言わないからこそ、話が難しくなるのを感じました。反対するはっきりとした理由が出ないと、解決策の提案もできないのです。「事業としてはとても良いが、近所につくるのは…」と言うだけなので、交渉相手として非常に難しい状態でした。
そのとき、安藤さんはどのようなことを考えましたか?
その地域に限らず、これは、多くの人の根底にある考え方なのかなと感じました。それにより、「障がい者」と区別されることが社会参加の難しさにつながっているように思います。
「障がいのある人も幸せに暮らしてほしい。でも、自分とは別の世界にいてほしい」そう思っている人がすごく多いのではないかと感じました。その思いは何かのエピソードから生まれたものではなく、本能や感覚に近いものでした。「説明すれば」「理解してもらえれば」というラインを超えた、非常に難しい問題なのだと思いました。
開設が難しいことで、障がい者のグループホームの開設を諦めようとは思わなかったのですか?
かなり難航したので、辞めることも考えました。しかし、僕としては、障がいのある人、ない人という線引きが元からなかったし、住む場所に困っているという事実もあります。
反対が少ない地域をもう少し探してみようと思いました。結果的に、現在の場所が見つかり、開所することができました。
グループホームを開所して、初めて入居者さんと関わり、どのようなことを感じましたか?
障がいのあるなしで区別はしないと言いましたが、当然、精神疾患や障がいに関する勉強もしました。しかし、実際に関わると、病気の種類でその人を一括りに捉えるのは難しく、一人ひとり性格の傾向が違うことを実感しました。また何より、やはり「障がいがある」とは、あまり感じなかったのです。
開所当初は、いわゆる病名や障がい特性の載ったプロフィールを見て「この人は統合失調症だから」と考えて関わろうとした時期もありました。しかし、今は受け入れるときに一応、病名などは確認しますが、それはそれと思い、実際に生活して接していくなかで、その人の癖や性格を知っていく感じです。
実際、クセの強い人たちがいっぱいいるような気はしますが、障がいがあるかないかという感じはあまりしないですね。
グループホームを運営するうえで大事にしていることは何ですか?
最初は高齢者の入居施設などに倣って、季節ごとのイベントをやろうと思っていましたが、入居する皆さんと関わるなかで考え方が変わってきました。
今は、入居者さんと一緒にご飯を食べる機会をなるべく増やしていきたいと思っています。特別なイベントよりも、もっと日常の自然なつながりを大切にしたいと考えています。
入居する方は、今までと違う環境で一人で暮らしているため、不安を感じている人もいます。その不安を和らげる方法の一つが、僕らと薄く緩くつながっていくことだと思っています。何となく知っている人が自然とその空間にいて、一緒にご飯を食べている…、特別ではない緩やかな日常が大切なのではないかという考えに至りました。
あらためて、安藤さんにとって、障がいとは何でしょうか?
僕の考えですが、障がいとは「何でもないもの」と思っています。制度として「障がい」という枠組みは存在しているけれど、人として線引きをする必要はないし、区別するラインはないように思います。
「障がい者」と枠組みをつくることで、制度として助けられるという発想だったと思うのですが、それが結果として「あの人たちは特別な人」「少し異質な人たち」という印象を社会のなかに刷り込んでしまったように感じます。
その印象は、社会参加の弊害になっています。制度上の区分けはどこかで線を引かないとつくれないと思いますが、「人」の能力や性質は、線引きするものではないと思います。
たとえば、時間に対して強いこだわりがある人を障がいと捉えるのか、性格と捉えるのか。会社に勤めていた頃、そういう非常に律儀な人はいました。会社では「決めた時間を、周囲の人よりすごく守りたい人」と思うだけだったのに、あえて「障がい」と意識して、自分とは違う特別な人と区別する必要があるのかと感じるのです。
どのようにしたら「障がいのある人」という線引きがなくなっていくと思いますか?
大多数の人は「障がい者」と括られる人たちとあまり接点がないから、「特別に何かしなくてはいけない」「何かを構えなくてはいけない」と思ってしまうのかなと感じます。それが、住民向け説明会のときの「自分の生活の身近な場所には来ないでほしい」という感情につながっているように思います。
構える必要はないから、実際に会って話してみれば?という気がしますね。構えなくてはいけない未知の相手ではないことを感じられると思います。
最後に、地域とのつながり方で大切にしていることを教えてください。
開所当初は、地域でやっている自治会などのイベントに参加して…と思っていたのですが、よく考えてみると、僕自身も自分が住んでいる地域の活動に参加していないと気づきました。
地域とのつながりは無理強いするものでもないし、それが嫌いな人もいます。こちらが暮らし方を強要するのではなく、自分の好きなことを選択して生活できたらと思っています。なので、入居者全員で何かのイベントに参加するのではなく「僕はこのイベントに参加するけど、一緒に行く人いる?」と、つながる機会のアナウンスをしています。
一緒にビーチクリーンに参加することもありますが、「この人たちは障がいのある人です」なんて紹介は当然しません。「知り合い連れてきたよ!」と自然に参加しています。そこで、障がいの予備知識のようなものを伝えなくても、皆さんナチュラルに関わり、他の参加者と同じように話もできているので、それでいいのかなと思っています。
インタビューを終えて
「積極的に差別しているわけではないけれど、自分とは関係のないところで幸せに暮らしてほしい」、障がいに限らず、悪意のない境界線は社会のさまざまな場所に存在しています。人の本質や感覚の変化は難しいものです。だからこそ、答えを一つにせず、時間をかけて丁寧に向き合うことが大切なのだと思います。
障がいのある人のことを偏見なくわかってほしいと思えば思うほど、「地域のイベントへ参加して欲しい」「知ってもらう機会をつくりたい」と思ってしまうことがあります。そのとき立ち止まって考えたいのは、その人はそれを望んでいるのかしらということ。
近くにいる人が、その人の生き方や想いを大事にする。大事なものを大事にしてもらえることが、穏やかな日常の一歩になるのだと思います。