特別支援教育とインクルーシブ教育、その子がその子らしく生きていくために(藤沢市教育委員会教育長 岩本將宏さん)
岩本將宏さんは、藤沢市内の中学校で数学科の教師として生徒と向き合い、片瀬中学校で定年を迎えたのち、2020年4月に藤沢市教育委員会の教育長に就任しました。教育長として2期目を迎える岩本さんは、教育者でもあり、障がいのある息子さんの父親でもあります。
息子さんは、藤沢市内の通常級、特別支援学級、そして、特別支援学校に通学していました。特別支援教育やインクルーシブ教育のあり方、教育に対する想いを、藤沢市教育委員会教育長の岩本將宏さんに伺いました。
そのお子さんは、市内の特別支援学級に通学していたのでしょうか?
息子は、小学校は通常級、中学校は特別支援学級、高校は特別支援学校に通いました。障がいのある子を育てる親であれば、通常級か、特別支援学級か、特別支援学校か…と迷うかと思います。
我が家も同じでいろいろと考え、「地域の子どもたちと一緒に過ごさせたい」と、小学校は市立小学校の通常級でお世話になりました。学習では苦労しましたが、とても手厚く関わってもらいました。
その後は、「より本人に合わせた教育を受けたい」と思い、市立中学校の特別支援学級へ通い、高校は「肢体不自由部門がある専門の学校でみてもらいたい」と、県立の特別支援学校に進みました。
あらためて、藤沢市内の支援教育の現状を教えてください(2023年8月現在)。
特別支援学校としては、白浜養護学校があります。特別支援学級は、小学校35校のうち21校にあり、中学校は19校のうち15校にあります。藤沢市は特別支援学級の全校設置を目指しています。
しかし、藤沢市は人口も増えているため、学校のキャパが足りず、教室不足などの現状もあります。予算の面や教室の課題もあり、今すぐに全校設置に至らない状況ではありますが、着実に進めていきたいと思います。
藤沢市には、通級指導教室もあると伺いますが、それはどういったものなのでしょうか?
特別支援教育の充実が進んでいますが、近年、話題となる「インクルーシブ教育」とはどのような教育なのでしょうか?
インクルーシブ教育とは、障がいあるなしに関わらず、すべての子どもたちが、同じ場所で学ぶことができる教育です。障がいのある子にとっても、ない子にとっても、得られるものは多くあります。特別支援教育の充実を図りながら、最終的にはインクルーシブ教育を目指すことが目標になります。
「インクルーシブ教育を進めているのに、特別支援教育という枠組みで分けるのはどうなんだ」と思う方もいるかも知れませんが、すべての子どもが同じ場所で学ぶインクルーシブ教育も、その子の特性や困りごとに合わせて必要な教育をしていく特別支援教育も、どちらも重要なものになります。
どちらも必要な教育だからこそ、丁寧に進める必要がありそうですね。
そうですね。インクルーシブ教育を進めていく上で、特別支援教育はその土台になるものと言われています。特別支援教育の発想や対応が、どこの教室でもおこなえるようになり、その中ですべての子たちが学べることが大切です。なので、特別支援教育をやめて、インクルーシブ教育に切り替えましょうということではないと思っています。
私は障がいのある子の親として、我が子には必要な力をつけてほしいと願い、中学から徐々に特別支援教育を選択してきました。専門的な教育が通常級の中でおこなえるインクルーシブ教育は理想的です。しかし、もっとも怖いのは、「インクルーシブ」であることに焦ってしまい、障がいのある子が「いるだけ」になってしまうことです。
それはご家庭の望む姿ではないですよね。
「一緒にいるのだから、インクルーシブ教育ですよ」というのなら、それは教育ではないですよね。
親もそれは望みません。インクルーシブ教育をおこなうことで、自然と障がいのある子を理解し、子どもたち同士で関わり合いながら、ともに生きることが当たり前になるのは良いことです。しかし、親としては、やはり我が子の将来を想い、必要な力をつけてほしいと願っています。
息子さんのとき、小学校は通常級にしようと思った理由は何だったのでしょうか?
これから勉強がスタートしていく段階である小学校では、地元の子どもたちと一緒に通わせたいと思いました。
実際、友人もたくさんできましたし、息子をあだ名で呼びながら、よく面倒も見てくれました。中学校で特別支援学級に進んでも、同じ小学校の子たちが校内にはいるので、いろいろと声をかけてくれました。
体育祭で息子が100m走に歩行器を使用して出場したときも、みんなが応援してくれたり…その姿を見ると、小学校のときに通常級に入り、住んでいる地域に、その後も付き合いが続く友人関係を築けたことは本当に良かったなと思っています。
ともに学校に通う良さがありますね。今後、藤沢市ではどのような教育を目指していますか?
「ともに学びともに育つ」というのが、藤沢市の教育の柱です。
繰り返しにはなりますが、障がいのあるなしに関わらず、すべての子どもたちに、その子に応じた教育を提供するに尽きると思っています。特別支援学級については、全校設置を目指して着実に学校数を増やしていきます。
完全なインクルーシブとは異なりますが、特別支援学級のある学校では「交流」といい、通常級の子たちと一緒に授業を受ける機会もあります。障がいのある子とない子が一緒に学校生活を送ることは、お互いの成長にとても大切な要素になります。交流がもっと浸透して当たり前となることで、本質的なインクルーシブ教育に近づけるのではと思っています。
岩本教育長は考える「教育」とは何でしょうか?
支援教育とは少し離れますが、教育は「人」だと思っています。先生たちが一人の人間として魅力があり、子どもたちから見て、尊敬に値する人間、憧れる人間であることが大事です。そういう人でなければ、子どもたちには何も伝わっていかないのではと思っています。
「先生、かっこいいな」「憧れちゃうな」「この人は信頼できる」と思えば、子どものほうから授業を聞きにいき、学びを吸収していきます。
何を言うかよりも、誰が言うか。とくに先生と生徒という教育の世界であれば尚更です。だからこそ、教育は「人」、子どもたちがかっこいいと思う先生が、一人の魅力ある人間であることが大切だと思っています。
岩本教育長にとって、「障がい」とは何だと思いますか?
「障がい」と定義していいのかなと思うこともあります。周囲から見れば、障がいに見えるけれど、本人は障がいと思っていないことも山ほどあります。本人が困っていないことを含めて、何でも周囲が「障がい」と定義するのは違うのではないかなと、私は思っています。
あと気になるのは、障がいのある人は「頑張っていないといけない」という風潮です。障がいのない、いわゆる「健常者」が目標のようになってしまい、それに近づくために頑張らなくてはいけない世界観があります。果たしてそうなのだろうかと疑問です。
私たちは「今日は、かったるいな」「怠けたいな」と思ってしまうことがあります。しかし、障がいのある人が「怠けたいな」と言うと「それは、自分のためにならないよ」と言われてしまうのが腑に落ちないなと思っています。障がいのある人だって、サボりたいときはあるし、怠けたいときもあるし、頑張れないときもある。私たちと同じですからね。
最後になりますが、その子がその子らしく生きていくために必要なものは何だと思いますか?
その子自身が夢や目標、向上心などを持っていることが大切だと思います。周りは、やはり環境を整えることですね。学校も家庭も、その子らしく生きられる環境をできる限り整えていってあげたいなと思っています。
インクルーシブという発想もそうですが、本人だけでなく、周囲の理解や環境が大切な場合もあります。人は社会のなかで他者と関係性をもって生きているので、どこかで必ず、誰かの手助けをもらっています。これは障がいがあるからではなく、誰でもそうです。その関係性を築くためのコミュニケーション力は身につけてほしいなと思いますね。
何よりも大切なのは、自己有用感だと思います。「自分がいる」ということが人の役に立っていたり、そのことに喜びを持てていたり、人から感謝されたりすることです。
「あなたがいるから」「あなたのおかげで」という言葉を嬉しく思えるような人生であれば、その子がその子らしい人生を送れるのかなと思います。お金や富ではなく、「自分は、いていいのだ」と自己有用感をもてることが、満たされる幸せにつながるのだと思います。
インタビューを終えて
教育には大きな可能性があると信じて、私自身も最初の職業として教員を選びました。特別支援教育とインクルーシブ教育は「わける教育」と「ごちゃまぜ教育」というように、まるで対極にあるように扱われますが、そうではありません。
今回、岩本教育長の話してくれたことは、教育の本質であると感じます。学校は教科学習だけの場ではなく、子どもたちが多くの時間を過ごす「生活の場」です。そのなかで目にするもの、聞こえてくるもの、何気ない表情や対応、そのすべてが子どもを育てる「教育」です。
架け橋のないインクルーシブは、ときとして誤学習となり、ともすれば、障がいの有無から生まれる「違い」を浮き彫りにしてしまうことがあります。どのような空間をつくるのか、何を見せて聞かせるのか、どのような言葉でつなぐのか、そこにある「教育」が架け橋になると信じています。「自分もいていい」「あなたもいていい」「みんな、いていい」関係性のなかから存在価値を大切にできたらと願います。