インタビュー

ラジオは「言葉」と「音」の世界、言葉は受け取る人のもの、だからいろいろな言葉で伝える(レディオ湘南 田畑智朱希さん)

1996年4月28日に開局した、藤沢市のFM放送「レディオ湘南。レディオ湘南を聴く専用アプリは、8万ダウンロードを超え、地元藤沢をはじめ、全国から愛される放送局です。

ラジオの生み出す空間はリスナーの皆さんとの一対一の見えない空間。何気ない話題やゲストの方との掛け合い、取材を通してさまざまな情報が入ってきます。また、その声や音楽、聴こえてくる音の心地よさを楽しめます。「言葉は受け取る人のもの」レディオ湘南の制作部チーフであり、藤沢市広報番組「ハミングふじさわ」「soulful airwave」などでパーソナリティを務める田畑智朱希さんにお話を伺いました

仕事の内容を教えてください!

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

コミュニティ放送局「レディオ湘南」の制作部に所属しています。おもにラジオで喋る仕事です。それ以外にも、レディオ湘南の社員として、各番組の管理などをしています。

仕事内容は多岐に渡るのですが、藤沢市の広報番組エンタメ番組、ナレーションや司会などがあります。取材へ行くことも多くあり、音声データは編集まで自分でやります。ほかにも、CM作成や原稿作成、各番組パーソナリティの管理や調整、育成などもしています。

「伝える」仕事に就いたきっかけを何だったのでしょうか?

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

実は「何かを伝えたい!だからラジオをやりたい!」というスタートでは、全くないのです。もともと、身体にコンプレックスがあり、学生の頃は下着メーカーに就職したいと思っていました。

コンプレックスを自分で工夫してどうにかするのではなく、もっと気軽に「この下着をつければ、きれいに見える」という商品をつくりたくて、下着メーカーの開発部門で働きたいと思ったのです

全然違うのですね!

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

私は漠然と夢や目標をもつというより、自分の経験をもとにして何かできたらという気持ちから「きっと同じ想いの人は他にもいると思う。だから、そういう人たちのためにも開発したい!」と思いました

実際、下着メーカーの就職説明会に行ってみると印象が違い「私たちはブランドです」という雰囲気が強く、私の価値観とは異なりました。「下着は絶対に必要だし、気軽に買い換えられるものでありたい。でも、見た目はかっこよくしたい、そのためにはどうしたら?」という想いが叶う環境ではないように感じてしまったのです。

そう思った矢先、偶然、知人から「ラジオは?」と言われたのが、この世界に入るきっかけになりました

そこでガラッと変わる感じなのですね!

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

普段から深夜番組など、よくラジオは聞いていましたが、「ラジオ」は職業のイメージではなく、もっと漠然とした「ラジオ」という身近な存在だったのです

ラジオは好きでしたが、放送する側にいく…というのは、考えていませんでした。夜中にラジオを聞いて「この曲、なんて曲だろう」と、パッと起きてメモをしたり、寝ながらラジオを聞いたり、私の場合、そこから情報を得るというよりも、音楽を聞いたり、喋っている人が話す何気ない話を「あーわかるわかる」「へ〜!」と聞くのが好きでした

それが今の番組づくりの中にもあると思っています『soulful airwave』は、まさにそれで、流し聴きができて、いろいろな曲がかかって、今こんな曲が流行ってるよねとか、昔の曲をちょっとかけるよ、みたいな。私が好きだなと感じてきた番組を、今つくっている感じです

「ラジオは?」と進められても、なかなか入れない世界だと思います。どうやって、その一歩を進めてきたのですか?

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

卒業間際に「ラジオに進もう」と思ったので、当然、ラジオやテレビなどの放送関係の勉強もしていませんでしたし、喋りを勉強するスクールや専門学校、司会者育成などに通えていない状態でした。

そのとき「大切なのは経験値!」と思い、ご縁もあり、レディオ湘南に学生ボランティアスタッフとして飛び込みました。そこで、師匠と呼べる方と出会い、その方の番組につかせてもらい、さまざまなことを勉強しました

喋る難しさや面白さ、ゲストが有名であろうとなかろうと、喋れる人であろうとなかろうと、そういったことに関係なく、分け隔てなく接する姿を学ぶことができました。話すことだけでなく、ミキサーも教えてもらい、そのあと引き抜いてもらって、レディオ湘南に勤めることができました。

そこから、ずっとレディオ湘南なのですか?

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

周りに恵まれていて、階段を登ってきましたが、師匠が早くに亡くなってしまったのです

そこから、もっと広い世界を知りたいと思い、フリーランスになりました。そこで、きちんと喋る勉強をしていきました。もう一度、発声練習や喋る練習をして、ファッションショーや披露宴の司会などをさせてもらうようになっていきました。そのなかで、山梨にある県域放送局のFM FUJIで、働くことができました

テレビ関係の仕事が多い事務所だったので、なかなかラジオの仕事はなかったのですが、私が「ラジオがいい」とずっと言っていたので、マネージャーさんがオーディションを探してきてくれたのだと思います。運が良く、FM FUJIに受かってすごく嬉しかったし、10時から16時までの長い番組を経験できたことも、放送局の仕組みを学べたことも本当に良かったです

人に恵まれることが多く、いろいろな方と接し、優しく大切にしてもらいました。その中で多くの経験を積めたのも良かったです。

いろいろな経験を積んで、今のレディオ湘南での放送につながるのですね!

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

県域放送局を知り、コミュニティFMとの違いやそれぞれの良さを学ぶことができました。結果的に、ラジオから離れていた期間も、レディオ湘南をやめてからFM FUJIが決まるまでの1年間だったので、本当に恵まれていると思います。

ただ、その1年は「暗黒の1年」です(笑)
フリーランスになった最初の1年は勉強の1年で、人間不信にもなるし、この先どうしたらいいのかわからない気持ちにもなりました。実家にいたので、お金には困りませんでしたが、振り返りたくない1年です。でも、あの1年があったから、私はすごく成長したと思うし、何かを乗り越える力もついたのではないかなと思っています

あのとき、下着メーカーに決めていたら、ラジオの世界には行かなかったと思うし、そのタイミングでその人と会わなかったら、あの言葉がなかったらラジオの仕事はしていなかったと思うと、巡り合わせって不思議だなと思います。たくさんの方に導かれながら勉強したからこそ、喋る難しさ、伝える難しさ、いろいろなことを知れて、今は本当に楽しいです

この仕事の魅力は何でしょうか?

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

魅力はいっぱいあります!でも、一番の魅力は、たくさんの方と出会えることです。そして、いろいろなことを知ることができる、そこだと思っています。

取材を放送するコーナーも複数あり、1ヶ月に十数名の方に取材しています。ラジオの取材をすることで、全然知らない世界があることも知るし、地域にはこういう活動がある、こういう事業が行われている、というのを知れるのがすごく楽しいなと思っています。

一対一で話が聞ける、しかも、聞きたいことが聞けるという、本当に貴重な機会です

本当にそうですよね。私もすごくそう思います。取材できるという仕事は、本当にありがたい。ほかにもラジオの魅力はありますか?

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

ラジオを通して生まれる関係性が魅力です。たとえば、リスナーさんとは直接の知り合いではないけれど、ラジオを通して知り合い、違う場所にいながら、同じ時間を一緒に過ごしています。

それから、ラジオがつくる「一対一」の空間も魅力です。リスナーさん一人ひとりとつくる、その空間を大切にしたいし、「一対一」と思ってもらえないと、ラジオとして駄目だと私は思っています。メッセージもらってやり取りがあり、リアルタイムでつながれるのもラジオの良さです

あとは、声が好き、安心する、癒されるなどの言葉をいただくと本当に嬉しいですし、声で私のことを覚えてもらえるというのも嬉しいことです

仕事の中で大切にしていることは何でしょうか?

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

一つのことを伝えるのに、いろいろな言葉をつかって伝えるようにしています。

「言葉」は受け取る側のものなので、私がいくら「こういうつもりで言った」と思っていても、受け取った側が傷ついてしまうかもしれません。本人だけでなくて、周りで聞いていた人が嫌な気持ちになるかも知れません。そういうことは極力なくしたいので、いろいろな言葉で一つのことを伝えること、相手がどう思うかを想像して話すのは大事だと思っています

言葉は使わないと忘れてしまうので、私は本を読むようにしています。漫画ではなく、小説やミステリーなど、文字を読むようにしています。

ラジオは音声としての言葉、本は文字。両方とも「言葉」で伝えなくては伝わらないところが同じです。本が状況をすべて文字で説明しているように、ラジオもそうやって説明をしなくてはいけません。「どうやって表現すれば、わかりやすいんだろう」というのが本を読むとわかるので、本は、私の参考書ですね

好きな本はありますか?

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

ミステリー系だと、アンソニーホロヴィッツの本を読むことが多いです。あと、エッセイも好きですね。

エッセイは読みやすいので、気分転換になります。室井滋さんも好きだし、さくらももこさんも好きでしたし、面白いなと思います。でもよく読んでるのは、やはりミステリー系が多いです。

ちあきさんの生きがいや大切にしている生き方は何でしょうか?

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

そうですね、生きがいと言われると、今は「仕事」が生きがいになっているなと思います

毎日、違う内容の仕事をしているからだと思います。取材相手も違うし、同じ質問をしても質問の仕方や伝え方が異なります。私のなかで、人生の面白さが仕事のなかに詰まっているので、「生きがい」と聞かれると、やはり仕事かなと思います。

生き方としては、相手の立場に立って考えられる人でありたいと思います。人の話を聞ける人でいたいし、話を聞く人でいたいです。

全部つながっていますね。受け取る相手の気持ちを大事にして、それを仕事のなかでも大切にして。

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

いろいろな環境があるし、いろいろな人がいます。みんながみんな、良い人ばかりではないときもあるので、へこんだり落ち込んだり考えたりすることもあります

私が大事にしている言葉は「見ている人はちゃんと見ているよ」という言葉で、その言葉にずっと支えてもらっています

小学生や中学生の頃、学校が面白くないなと思った時期がありました。そういうとき、母に「大丈夫、見てる人は見ているよ」「わかってくれる人はわかってくれているから」と言われていました。「わかっているよ、とあなたに伝えなくても、そういう人がいるから」と言われたときに、「あ、そっか」と思えたのを覚えています

今は、自分もそういう立場になれたらと思っていて、相手に対して「見ているよ、ちゃんと」と言えるような人でいたいし、そういう生き方ができたらいいなと思います

「障がい」や「福祉」と聞いて思うことなどは、ありますか?

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

「知らなければ、知らないまま」という人も多いのではないかと思っています。「障がい」や「福祉」のことを、生活の中で考えなくてもいい人、感じなくてもいい人、それがなくても生活ができる人、考えなくても別に人生困らない人…こういう方々は、たぶん何も知らないまま生きていけるのだろうなと思います。私も、今まで積極的に学んだかと言われたら、積極的には学べていないです。

ただ、何かのきっかけが「気づき」になるように思っていますラジオの仕事を通して、地域の福祉的な活動や障がいのある方のことを知る機会もありました。また、自分がケガをして左手が自由に使えなくなり、初めて、世の中はすごく生きにくいのだと知ることができました。一つ知ると、それが気づきになって、もっと知らないといけないな、もっと知りたいなと思うように変わっていきました

左手をケガをしたときは、どのような気づきがあったのでしょうか?

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

左手が全部ギプスになり使えなくなり、「世の中は、なんて冷たいのだろう」と思いました。それは人が冷たいのではなく、環境が冷たいというのでしょうか…物がいちいち面倒くさいのです

私は利き手が右手なので、まだ良かったのですが、それでも、お財布一つ取り出すのも大変で、電車に乗るのも大変、買い物も面倒くさいし、バイクには乗れない…あと、あれが一番嫌でした、グリグリって自分で挽いて出す胡椒(笑)。本当、冗談じゃない!という感じでしたね。

自由に動かせない状態にならないと分からないことも多く、初めて「世の中ってすごく不便」と感じました。人が優しくないというより、そもそも物や環境自体が優しくない。

きっとこれは、不自由さを感じていない人たちがつくっているから、そうなるのだと思いました。地域や生活のなかで、「使いにくい」と思う人の声を拾っていかないといけないし、気づいた人が形にするのが大切だなと思います。

私もケガで膝が曲がらなくなったときも同じように思いました。あー、エレベーターはあるけど、なんて遠いのだろう…と。どうしていったら良いと思いますか?

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

私は一時的なケガでしたが、何らかの障がいがある方や困っている方は、きっと「もう仕方ない」とか「こういうものだから」と生活してしまっているのではないかなと思います。みんなで暮らす地域、特定の人が我慢するのがあたりまえなのは違うと思っています。

どういう状況になっているのかと相手を想像しなくてはいけないと思います。人は、障がいがあるなしに関係なく、得意不得意があるものです。障がいがあるからできないとか、障がいがないからできるわけでもないと思っています。

障がいなどの知識もあまりないのですが、誰でも「同じだから」、思いやりとお互いさまなのかなと思っています。助けてもらうことも絶対にあるし、あとは「私はどういうふうに接したら、気持ちが楽ですか?」と聞きたいです。一人ひとり違うけれど、聞くことで、一つの知識になって、またそこから広がっていくと思っています

病名を聞くだけでは分からないし、関わり方を聞いたり、察したりするのは大切ですよね。何が嫌なのか、どうしたら嬉しいのかとか…それって、シンプルに人付き合いですよね。

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

そうだと思います。小学生の頃、母の遠い親戚に「チアキちゃん」という女の子が生まれて、ダウン症の子でした。当時の私は、その子に対して、何か「違う」と思うこともなく普通に遊んでいて、しかも同じ「チアキちゃん」なので、さらに「かわいいな」と嬉しく、遊んでいたのを覚えています

チアキちゃんの両親はすごく気にしていたようで、それもあり、母から「チアキちゃんね、ダウン症という病気なんだよ」と言われた感じでした。病名よりも、その子にやっては危ないこととか、その子が嫌がること、一緒にどうやったら遊べるのか、それさえ教えてくれたらいいのになと思いました。

振り返ると、子どもは気にしてないのに、大人のほうが「違う」という差を見せて、壁をつくってしまうような気がします。「病気があるから違う」と教えるのではなく、得意なことや不得意なこと、一緒に遊ぶヒントになることを教えてあげたらいいのではないかと思いました

いろいろな特徴のある人が、ともに暮らしていくうえで大切なことは何だと思いますか?

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

やはり「思いやり」と「お互いさま」だと思います。これは障がいや福祉だけでなく、生きていく上で大切なことだと思います

あとは、「障がい」とか「福祉」という言葉だけだと、何もわからないなと思っています。そういう狭い言葉で表現するものではなく、もっと細かいものだと思っていて、本当に大切なのは障がいのあるなしではなく「この子はどんな子なのか」という細かい表現なのだと思うのです。

できること、できないことは、人それぞれあります。身体的な理由かもしれないし、病気が理由かもしれないし、苦手なのかもしれない。そういう細いその子の特徴を教えてもらえる機会があればと感じます

小学生のときなど、学校でそういうことを教えてくれる機会があってもいいなと思います。障がいのある子が学年にいなくても、知らないだけでこういう病気の子もいる、こういうことが苦手な子もいる、だけど、こうやって関わればいいよね、こうすれば一緒に遊べるねと、そういう授業が学校にあれば良いと思うし、子どもの頃から教えてほしかったと、大人になった今思います

最後に、今後やっていきたいことを教えてください!

田畑智朱希さん
田畑智朱希さん

もっと積極的に行動していきたいと思っています。今まで、こうしたいと思っても、行動にできていないことが多く、想いが形になっていないと感じています。日々の仕事に追われてしまうことも多いので、今後はなるべく近い未来で「やりたい」と思ったことを、形にしていきたいです

職業を越えて、これまで築いてきた仲間が大勢います。そういう方々と一緒に地域を盛り上げていきたいし、イベントなどもやっていけたらと思っています!

インタビューを終えて

「教えてほしかった」という言葉に、ハッとする思いでした。これまで、関われる機会があれば…、もっと地域であたりまえに出会えれば…と思っていましたが、その機会がなかったとしても、教育として伝えていくことも必要なのだと感じました。また、伝える内容も、ただ多様な障がいや病気を紹介したり、違いを伝えるだけでは、その先の一歩にならないのだと思います。

特徴としての違いを知ること、そして、それでも私たちは同じであることを知ること、さらに、同じ空間でどのようにしたら、誰かが譲ったり、我慢したりするのではなく、みんなで楽しく過ごすことができるのかを考えること、きっとそれが必要なのだと思います

学校教育だけではなく、家庭教育や地域教育もそうだと思います。そして「教育」は、特定の人がおこなう特別なものではありません。教育は、日頃のなかに存在しているもの。ラジオなどのメディアの、何気ないひと言が大切に残る学びになるときもあります。ラジオの先輩に取材をし、「伝える」という喜びと使命感をいただく機会になりました

WRITER

小川 優

大学で看護学を学び、卒業後は藤沢市立白浜養護学校の保健室に勤務する。障がいとは社会の中にあるのでは…と感じ、もっと現場の声や生きる命の価値を伝えたいとアナウンサーへ転身。地元のコミュニティFMをはじめ、情報を発信する専門家として活動する。

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