子どもたち一人ひとりがもっと地域の人から愛される社会へ(紙芝居師 ゴリラせんせい)
保育士を経て紙芝居師となった、高浜中学校出身の「ゴリラせんせい(半田拓也さん)」。藤沢市をはじめ、多くの地域で紙芝居を通し、元気と笑顔を届けています。紙芝居を楽しむのは子どもだけでなく、おじいちゃん、おばあちゃんまで。最近、改めて「紙芝居」を好きな理由が見えてきたそうです。
『大人になるのが楽しみになってほしい』その想いで活動をするゴリラせんせいは、幼い頃から「障がい者」「健常者」という言葉にずっと違和感があったと伺います。「みんな、いていいし、みんなで楽しめば良くない?」もっと気楽に、もっとフラットに、ただ原点に戻ればいい、ゴリラせんせいの目指す社会や想いを伺ってきました。
ゴリラせんせいの仕事を教えてください!
紙芝居師をやりながら、フリーランスで保育士をやることもあります。最近は「あそびやさん」という、昔遊びを取り入れたイベントも開催しています。
紙芝居師は、資格とかはないのですが、紙芝居を通して、子どもから大人、おじいちゃんやおばあちゃんまで楽しさを届ける仕事です。
なぜ「紙芝居」をやろうと思ったのでしょうか?
きっかけは、3歳の頃に遡ります。保育士になったきっかけから話していいですか?
当時、僕は幼稚園に通っていたのですが、実は幼稚園がすごく苦手でした。別に先生が嫌いとか、幼稚園が嫌いとかではなくて、ただ家でゆっくりしていたい子であんまり幼稚園に行きたくなくて、下駄箱のところでしがみついたり、「幼稚園行きたくない、行きたくない」と、めちゃくちゃ母親や先生を困らせていたのです。
すると、「おーい、たくやくん、たくやくん」と園長先生が来てくれて、「嫌なら、虫捕りでも行きましょう」と、近くの公園まで虫取りに連れて行ってくれたことがありました。虫は大好きだったので楽しくなり、そのタイミングで「じゃあ、そろそろ幼稚園いこっか」「うん!!」みたいな、そんなやりとりがありました(笑)
園長先生みたいな大人になりたいなと思いましたね。幼稚園の先生とか保育園の先生になって、自分みたいに幼稚園が苦手な子でも楽しめるように関われる先生になりたいなと思い、保育士と幼稚園教諭の資格を取りました。
そこから、紙芝居師になったきっかけはあったのですか?
仕事をしていくうちに「自分が3歳のときに感じたことが、今の夢につながってる」のはすごいことだなと思えてきました。そのことをいろいろな人に伝えていきたいと思ったのと、幼稚園、保育園、学校など、その空間が苦手な子は絶対いるだろうなと思い、そういう子たちにも「いろいろな大人がいるんだよ」ともっと見せていきたいなと思ったのです。
でも、いきなり行ったら、不審者だし(笑)良い方法はないかなと考えたときに、自分は絵が好きで前に出ることも嫌いではないので「紙芝居」ができるのではと、紙芝居を始めました。そこからボランティアではなく、どうやって「仕事」としてやっていくかをいろいろと考えて、紙芝居の勉強もして、今に至ります。今年で紙芝居師を始めて、5、6年目になります。
「紙芝居」の魅力は何だと思いますか?
実は最近、僕も「なぜ、自分はこんなに紙芝居が好きなのだろう」と考えたのです。そこでわかったのが紙芝居自体が好きなだけでなく、紙芝居を通して「コミュニケーションが取れるところ」、紙芝居がつくる雰囲気が好きなことに気づきました。
紙芝居を通すと、普段コミュニケーションが苦手な子も、なぜかコミュニケーションとってくれることがあり、そういうのが嬉しいのだとわかりました。
最近始めた「あそびやさん」も、世代を超えてコミュニケーションとれる雰囲気が好きです。なので、僕は一つのツールとして「紙芝居」を使ってるのだなと、最近、ようやくわかりました。絵を描くのはもちろん好きですが、コミュニケーションを取るのが好きなのですよね、きっと自分は。
紙芝居のとき、子どもたちの様子が変わっていくのでしょうか?
そうですね。最初、硬い表情だった子も終盤になると、「あ、はい!はい!」みたいに手を挙げていたり、別に「はい」と言わなくても、ぼそっと何か言っていたり。そうやって、みんなそれぞれが違う参加の仕方をしてくれているのも嬉しいなと思っています。
人気のある紙芝居はどのようなタイプのものですか?
年代によって、好まれる紙芝居は結構変わります。
小さい子は、絵を見て探すものや、僕が「こうだよね!」と絶対違うこと言って「ちがうよ~!!それ、くまだよ!」とか、そういう紙芝居が結構好きです。少し大きい子だと、一緒に前に出て何かをやるような紙芝居も人気があります。
小学生は少し考えるような紙芝居が人気ですね。「俺わかるよ!」「え、すごーい!」みたいな、そういうやり取りがあります。おじいちゃんやおばあちゃんになると、江戸時代から伝わる小話や、言葉の由来などの紙芝居、そういうのが結構人気があります。
紙芝居師としての活動は、ゴリラせんせいにとって、やはり大切なものでしょうか?
めちゃくちゃ大切だと思っています。紙芝居によって生まれる空間が好きです。
紙芝居は、自分にとってもすごく大切な時間だし、子どもたちにとっても「なんか、今日…楽しかったな」という気持ちは大事だなと思っています。「すごい楽しいな!」「いえーい!」で帰るのではなく、「なんか、また来たいな」みたいに思ってもらえる空間にしたいです。
あと、紙芝居は、世代を超えて、一緒に紙芝居を見たり、子どもの反応を一緒に楽しんだりできるのです。子どもは、一人ひとり、もっといろいろな人に愛されていい存在だと思っています。家族や周りの人だけでなく、もっと全然知らない人からも愛されるような存在になれる空間をつくりたい。愛というと、ちょっと大きいかもしれないのですが、本当に、もっともっといろいろな人に子どもたちが愛されてほしいなと思っています。紙芝居にはその力があると思っています。
障がいとか福祉について思うことはありますか?
僕が小さい頃から引っかかっているのが「言葉」です。単語というのかな、「障がい者」とか「健常者」とか、その言葉に僕はずっと違和感を感じていました。分類する言葉があるから、差別とかが生まれでしまうのではないかなと。
「できないこと」でいえば、僕にもできないことはいっぱいあるし、絶対、みんなあるはずです。できないことや苦手なこと…たとえば、僕はずっと座ってはいられません。それも、みんなが座っていられる世の中だったら、僕はたぶん「障がい者」と言われる立場になります。それって何だろう、誰が判断したのかなとずっと疑問でした。
もっとフラットに、もっと自由に…「いろいろな人がいていいじゃん」「みんな、いていいじゃん」と思います。言い方次第では良くないのかもしれませんが、もっと単純に「ただみんなで楽しめば良くない?」と思っています。
ともに暮らしていくために必要なものは、何だと思いますか?
変な言葉をつくらないことですかね。言葉が生まれると、それをやっていない人はダメな人と思われて、一気に差別化されてしまうように思います。優先席にヘルプマークをつけていない方が座っていると、ネットで叩かれたりします。マークを忘れちゃっただけかもしれない、何か調子が悪かったのかもしれない、そういう発想ではなく、許されない行為になってしまう。
僕は「優先席」という言葉もいらなくない?と思っています。もちろん、あって良かった経験のある方も大勢いると思うのですが、僕は、優先席がなくてもみんなが譲れる社会を目指したいなと思っています。
みんなが座って良くて、ちょっと大変そうだなと思ったら譲ればいい。いろいろな言葉やルールができることで、優しさではなく、より意地悪な日本になっていくのではないかな…原点に戻ればいいのにとすごく思っています。
本質的な思いやりの部分ですよね。大人として、子どもたちにどうやって伝えていくと良いと思いますか?
大人が見せていくしかないのかなと思います。子どもたちに言葉で言っても、なかなか通用しないものです。たとえば「アリを踏んじゃダメ」といきなり言っても、子どもは踏んでしまいます。それよりも、アリを避けてあげる姿を見せるとか、大切にする姿を見せるのが一番なのかなと思っています。
言葉も同じで、傷つける言葉などを大人が使わないことが大事かなと思います。子どもたちは、汚い言葉をかっこいいと思って使おうとすることがあります。たとえば「おまえ」という言葉も、子どもたちはかっこいいから使ってみたい。でも、信頼関係が成り立った「おまえ」と、初めて公園で会った子に「おまえ」と言うのは全然意味が違うということもわからないものです。言葉や行動も、大人が見せるのが一番だと思っています。
これから、地域のなかでどのようなことをやっていきたいですか?
子どもたちが、大人になるのを楽しみに思える社会をつくりたいです。子どもたち一人ひとりがもっと愛されるような仕組みを社会のなかでつくれればと本当に思います。それが目標ですね。それから、なかなか親以外の大人と関わる機会も少ないお家は多いので、一人の子どもが、いろいろな大人と関われるような社会をつくりたいです。
自分の活動でいうと「あそびやさん」を広げていきたいですね。赤ちゃんからおじいちゃんやおばあちゃんまで、中学生や高校生もひょっと顔を出せるような場所をつくりたいと思っています。ゆくゆくはフリースクールとか、そういう場所にできたら嬉しいです。月曜日から金曜日はフリースクール、土日は毎回「あそびやさん」という感じがいいなと思っています。
地域の人とコミュニケーションをとることで、「あ、そっか。居場所は、学校だけじゃないんだ」と思ってもらえるような空間をつくりたいなと思います。あと「あそびやさん」は、ちゃんと収益化していきたいです。これは子どもたちにその姿を見せることも大切だと思っていて、こういうことを仕事にしている大人もいることを伝えて「仕事も大人になるのも、楽しそうじゃん」と思ってほしいですね。
次回のあそびやさん!
インタビューを終えて
「原点に戻ればいい」このシンプルな言葉がストンと心の中に入ってきました。言葉やルールは、誰かを守るためにつくられてきました。原点にある想いは「優しさ」であったはずなのに、だんだんと強さや厳しさが生まれてしまうことがあります。
これは資格や学びも似ているように思います。福祉を学んだり、資格を取ったりすると専門職となり、より理解者になれたような気持ちになります。そうすると、誰かを守るために、強く、そして、ほかを受け入れない硬さが生まれてしまうことがあります。
大切なのは「今、目の前の人はどのような想いだろう」と、人と人で向き合い、原点をどこまで大事にできるかどうか。知識や技術は、硬さではなく柔らかく考えるために使えたらいいなと願います。知識、技術、経験という硬い鎧を纏いながら、誰に対しても排除ではなく理解を、そして、柔らかく環境を見て、柔軟に向き合える…それが素敵だなと思いました。