経験を伝える、トゥレット症と生きる(トゥレット当事者会代表 谷謙太朗さん)
突然大きな声を出している人がいたり、突然身体を大きく動かす人がいたら、「何だか怖い」と感じてしまう方も多いのではないでしょうか?
今回は藤沢市内にお住まいで、トゥレット当事者会代表の谷謙太朗さんにお話を伺いました。トゥレット症とは何なのか、どのような誤解を受けてしまうことが多いのか、谷さんが向き合ってきた世界はどのようなものなのか、率直に語っていただきました。
トゥレット症とはどのような病気なのでしょうか?
トゥレット症は、チック症状を主症状とする病気です。チック症というと、目をパチパチと瞬きするイメージが多いと思いますが、それだけではありません。体を動かすなどの運動チックや、声を出すなどの音声チックがあって、それらがさらに細かく分類されています。チックについての詳しい説明は、私たちのサイトをご覧ください。
チック症の一つとして、トゥレット症があります。運動チックと音声チックの持続期間や両方の症状を有しているか否かで、トゥレット症(トゥレット症候群)という診断名がついています。
チックは不随意のもの、無意識のうちにやってしまうという印象もありますが、どうでしょうか?
基本的には不随意運動といわれていますが、実は必ずしもそうではないのです。意識的な場合もあるし、大人になってくるにつれて、無意識だったものが意識的な感覚に変わってくる場合が多いといわれています。
なので、今は「半随意」というように表現をされることがあります。無意識なのかどうなのか、その境界線がとても微妙なので、誤解されやすい要因の一つになっています。
半随意?
本人の中でも、無意識のようで無意識でない感覚があったりするのです。私も当事者なので、当事者の感覚を言えば、自分の体の中に「動作の欲求」が出てきます。
こういうことを言いたい、行動したいという衝動が現れてくるのです。そうすると、実際に言ったり行動したりしないと、なんだか落ち着かない。身体に違和感やストレスを感じるという感覚が出てくるのです。
「わざとやっている?」と勘違いされてしまうのでしょうか?
そうです。チックやトゥレットは、脳の運動を調整する部分に問題があって起きているといわれていますが、そこにストレスや周りの環境要因が影響して、症状が悪化することがあるのです。
悪化要因をみると、どうしてもわざとっぽく見えてしまうのです。なぜなら「自分にとって不都合なとき」にチックが出やすい場合が多い。お子さんなら、怒られているときとか、苦手な勉強をしてるときとかが多いです。その様子をみると、怒られて嫌だからチックを出している、やりたくないからチックを出していると思われがちなのです。
「動作の欲求」を我慢するのは、やはり難しいことなのでしょうか?
そうですね。自分の中にとても不快な感覚が出てきます。少なからず我慢できる子がいたとして、数秒間など少しなら我慢できるけれど、とても不快なのです。トゥレット症は、そういう衝動が日々の中にたくさんある状態です。
私のもつ音声チックで、生活に支障があるのは「大きな声で叫ぶ」というものです。窓を閉めていても外に聞こえるくらい、本当に大きな声で叫んでしまうのです。
これは子どもの頃の話ではなく、今も変わらずにあります。ある程度コントロールはできるので、今のように会話中は目立った症状は出ないと思います。しかし、振り返ると、今日も仕事中に音声チックをいっぱい出していますし、運動チックもいっぱい出しています。
「トゥレット当事者会」は、どのような想いから作ったのですか?
私自身の経験ですね。福祉の制度や治療法など、もっと早くトゥレットに関する有益な情報を知っていたら、ここまで苦労しなかったのではないか、もっと違ったカタチがあったのではないかと思うのです。多くの方に「トゥレット」のことを伝えたく、立ち上げました。
私自身、社会生活や学校生活など、多くの苦労がありました。自分のやりたいことは、ほとんどできなかったです。高校は出席のために登校するのがやっとで、勉強は到底できなかったですし、進学も到底無理でした。さらに私の場合は、大人になってからどんどん症状が酷くなっていったタイプなので、社会に出てからがしんどかったですね。
そうなると、就職もなかなか厳しい話ですよね?
就職も無理でした。今は落ち着いて話せていますが、30分に、何十回と大きな声で叫んでいてもおかしくないのです。その欲求を我慢すれば、他の運動チックが強く出てくる。腕が振ったり、身体が動いたりしないと苦しくなる。そのような状態なので、会社のような空間で仕事ができる状態ではないですね。
学校へは登校するのが精一杯だったので、仕事をするための学問を学ぶこともできなかったです。寝ていると少し症状が出にくくなるので、学校ではほぼ寝て、勉強は家へ帰ってからするというのが日常です。ただ家で勉強をすれば、家の中でチックがひどく出てしまう。親からは「うるさい、うるさい」と言われて…もうこれ以上、勉強は無理だなと思いました。
高校卒業後、就職先も問題でした。座っていると身体の違和感が強くなり結構しんどいので、屋外の仕事なら何とか働けるのではと考えました。高校の頃は声だけでなく、飛び跳ねてしまう症状もあったので、迷惑がかからない方法をいろいろ考えましたが、なかなかこの病気に対する理解を得るのが難しく、仕事を長く続けるのは難しかったです。転職、転職と、繰り返してきました。
仕事をしながら、治療するのも大変ですよね?
治療と仕事の継続も難しい問題です。自分に合う薬や治療法を探している間は、薬の副作用がある場合もあります。私の場合、副作用で眠気があったので、働きながらの治療は難しく「働くために治療するのに、働けなくなったら元も子もない」と治療をストップしたこともありました。
しかし「この身体で何とか稼がなくては」と頑張るも、なかなか続けられないのです。どうしても症状が出てしまうし、症状が出れば、周りからいろいろなことを言われる。クビになったことも、自分自身でその状態につらくなり職場にいられず、辞めたこともありました。
トゥレットの症状は、初対面や初めての場所など少し緊張感があるところへ行くと、不思議といくらか出にくくなるのです。しかし、だんだん慣れてくると症状が出てきてしまう。仕事も最初の数ヶ月は、少しチックが出てても何とか働ける。でも時間が経つと、どんどん症状が出てきてしまう。そうすると自分自身もつらく、1年以上、仕事が続くことはほとんどなかったように思います。
皮肉な症状ですね。慣れて来たときに、やめなくてはいけない心境になるのは本当に苦しいですね。今はどうなのでしょうか?
今は、ほぼコントロールができるようになっています。ある意味、「諦めた」のが良かったのだと思います。
「トゥレット症」と「職業的自立」を考えたとき、正社員のような仕事は難しいと考えました。どこかでまた解雇されてしまうのでは、長くは続けられないと考えていたのです。そうなると、個人事業主のように、何か自分で事業を進めなくてはいけない。でも、それも難しい話ですよね。障がいがなくても、事業を成功させるのは難しいのですから。でも、その道しかないと思ったのです。
当時、自立するために必要なスキルを学びたいと、私は飲食店などで働いていました。
実際働いてみていかがでしたか?
トゥレット症で飲食業をしている人もいますが、基本的にはこの病気は、接客などのサービス業自体と相性が良くありません。私は敢えてその道を選んだので、つらかったのだと思います。
今はチックを出してもあまり問題のない環境、自分1人でいる時間が長いなど、自分の病気に合った仕事を選んでいます。
トゥレット症と上手く付き合うというのは大切なことですね。
本当にその通りです。トゥレット症だと何もできない、自分が望んだ仕事はできないと思いがちですが、「上手く付き合う」ができれば、十分可能性があります。
ただ、無理をしすぎてしまうと、症状が悪化してしまうこともあります。当然チック症状があることで、働くことにハードルはありますが、必ずしも「できない」わけではない。病気と上手く付き合えれば、できることはいっぱいあると思っています。
障がいや病気で阻まれたり、やりたくてもできなかったりすると、それらに固執してしまうのは当然です。私も若い頃はそうでした。だけど、少し考え方を変えて動き出すと、当時できなかったことができるようになってくるのです。
私も、できないことを克服しなくては、そこを越えなくては始まらないと思う気持ちになるように思います。同じような気持ちの当事者の方やご家族もいらっしゃいますよね。
そうですね。私は当初の目的を一旦諦めたことで、結果的に良い方向に進んでいる状態です。それもあり、トゥレット当事者会の活動などもできています。
できないことをできるようにしたいと固執してしまう気持ちは分かります。症状のせいで子どもが学校に行けていなかったら、親御さんはとても不安になると思います。「何とかして、登校をしなくては」と、親御さんも本人も固執してしまうことがあります。
ただ、少し考え方を変えるとまた違った道も出てくるように思います。そういったことも、トゥレット当事者会を通して伝えたいです。いろいろなことを早いうちから分かっていれば、違った生き方ができていたかも知れない。もっと早くに今の状態にたどり着けたかも知れない。チックに関する情報は錯綜していて、何が正しいのか、何が間違ってるのか、すごく分かりづらいのです。
トゥレット当事者会の活動で大切にされていることは何でしょうか?
当事者の自立です。「自立支援」というのは、簡単なことではないのですが、みんなが必要としているのはそこだと思うのです。
私の場合、症状が落ち着いてきたのが、40歳手前頃でした。「落ち着いたから、いざ就職」となっても、どこに就職できるでしょうか。学力がなく、キャリアもなく、でもやっと動けるようになってきた…その状態の人間に、社会の受け皿はないのです。
年齢が少し若くても状況は大きくは変わりません。中学や高校へ行けず、20歳から症状が良くなってきたといっても、なかなか難しいものです。トゥレット当事者会にいるメンバーもそこに苦労している子がたくさんいます。その不安や苦労が分かるからこそ、一筋縄にはいかないけれど、当事者の自立を目指して取り組んでいきたいと思っています。その一つとして、私がやってきた方法などを活動の中で伝えています。
早くチックを治さなくては…早く社会のレールに乗らなくては…と焦る気持ちも想像できます。
「そのときには、そのときの『今やるべきこと』がある」と思っています。周りの子は学校に行っているかも知れないけれど、その子にとって大切なことは、別のところにある。時間はかかるけど、今は今できることを大事にする。
時代が変わって、働ける時間がすごく長くなりました。今は70歳を過ぎても現役でいられるので、働ける時間はとても長いのです。そう思うと、小学校に数年行けなかったとしても、どうにでもなる。そこで無理をして症状を悪化させるほうが良くないと思うのです。
そう考えられない親御さんや本人の気持ちも分かるので、そういうことも含めて、根本的な自立を支援したいと思っています。10分に1回大きな声が出る子をどれだけの企業が雇ってくれるでしょうか。もっと症状が重い子は毎秒叫んでいます。そうなると、仕事も学校も難しい。でも、その症状が自分に合った方法を見つけることで、少し落ち着くことができ、1時間に1回くらいになったら、少し変わってくると思います。そういう一歩一歩だと思うのです。
谷さんが社会に願うこと何でしょうか?
私だけでなく、コミュニティのメンバーの子たちにも聞いてきました。
1つ目は、チックやトゥレット症という病気があることを知っていただきたい。知っているのといないのでは、全く違います。突然、街中で「あ!」と叫んでいる方がいたら、誰だってビックリするし、怖いですよね。近寄らないでしょうし、当然そうだと思います。でも、そういう病気の人もいるんだと知っていたら、見方や見え方が随分違うのではないかと思います。
2つ目は、この症状は、わざとではないということ。誤解されやすいと話してきましたが、家族ですら「わざと?」思うことが多々あります。自分がやりたくてやっているわけではなく、やらずにはいられない状況になるということを知ってもらいたい。不随意に動いてしまう場合もある。「さっきは我慢できたじゃん」と言われることもある。簡単に我慢できる、簡単に止めようと思って止められるものではない。人によって、その感覚もさまざまであることを伝えたいですね。
3つ目は、「温かい無視」ですね。当事者を無視してくださいではなく「チックには触れない」ということです。別に絶対に触れてはいけないわけではなく、気になったら普通に聞いていただければ「こういう病気です」と話します。私としては、伝えたいので、なるべく答えるようにしたいなと思っています。「温かい無視」というのは、偏見なく、普通に接してほしいということですね。例えば、咳やくしゃみのように、生理現象の1つくらいに軽く流してもらえたら、当事者としてはとても居心地がいいです。
確かに咳やくしゃみなら、敢えて聞かないかもしれないし、気になったら聞くかも知れないです。同じように、症状を構えることなく付き合えたら、お互いに気持ちがいいですね。
そうですね。何か気になったら、普通に言ってほしいなと思います。
もちろん、自分の状態を答えられない子もいますし、聞かれるのが嫌な人もいると思います。ただ、そこはたぶん当事者がこれから学んでいくところかなと思っています。
社会に理解してほしいと求めるだけでなく、私たちも知ってもらえるように伝えていくという考え方を持たないといけないのかなと。いくらメディアに大きく取り上げてもらっても、時間とともにその情報は薄れていくものです。当事者も伝え続けるということが必要なのだと思っています。
インタビューを終えて
知ることで、見え方が変わってくる。これは「病気としての知識」だけでなく、その人を知ることで初めて見え方が変わってくるように思いました。
今回、谷さんとお話をして、キャリアを積まなくてはとチャレンジをしたり、慣れてきた頃に症状が多く出る心境を想像したりすることで、谷さんがどのように生きてきて、どれだけ悔しい想いをしたのだろう、諦めた日はどのくらいあったのだろうと感じました。
これは「トゥレット症」という病気を知ることで得られたのではなく、その人の経験を聞き、「想像をする」ということから広がったのだと思います。それが、人への理解や関わり、声のかけ方につながっていく。知識や学び以上に、自分の頭と心で、相手の生きてきた時間を想像することが大切なのだと感じました。それが「知る」ということなのではないかと思うのです。