インタビュー

親亡きあとも、地元で生きる(富永ファミリー)

富永ファミリーは藤沢市内に暮らすご家族です。何も特別なことはなく、長男の夏生(なつき)くんは昨年20歳の誕生日を迎えました。ただ少し違うように思えるのは、子どもの頃の急性脳症がきっかけで夏生くんには障がいがあり、胃ろうや気管切開などの医療的ケアが必要なところです。

富永家の毎日には、ふとしたときに「親亡きあと」という将来への不安がやってきます。妹の桜生(はるき)ちゃんはそのことを作文し、第40回全国中学生人権コンテスト神奈川県大会にて銀賞藤沢市長賞を受賞しました。「兄を受け入れてもらえる施設がありません」ご家族を襲う不安や将来への想いを伺っています。

夏生くんは、突然の脳症だったのですか?

1歳4ヶ月の頃、夜中に突然引きつけを起こしました。たまたま僕は勉強していたので夜に起きていて、しゃっくりのような音が聞こえてきたのです。何だろうと息子の顔を覗いたら、泡を吹いていて、「え?!何それ?」と驚きましたし、慌てました。

急いで救急車を呼び、病院で急性脳症という診断を受けました。そこからは、てんかん発作などのいろいろな症状が現れるようになり、何が起きているのだろうの連続でした。

崇之さん(父)
崇之さん(父)

たまたま夫が起きていて、そこで、たまたま様子がおかしいと気がついたから、救われた命なのかなと思う部分もあります。もし、朝までぐうぐうとみんなで寝ていたら、死んでしまっていたのではと考えてしまいます。

良子さん(母)
良子さん(母)

富永ファミリーで大切にされている想いはありますか?

いつ何がおこるか分からないから「今を大切に生きよう」という話はよく家族で話しています。小さい頃から、子どもたちには、自分がいくら注意をしていても突然の事故で死んでしまうかもしれないから、一日一日、悔いのないようにと伝えてきました。

「今を大切に生きよう」「今日に悔いを残さないように」という部分は富永家のベースになっています。でも「今」だけでなく「これから」も大事だなと思っています。「親亡きあと」というのも、そこの延長線上にあると思っていて、我が家は息子のこともあるので、やはり心配ですね。

良子さん(母)
良子さん(母)

やはり「親亡きあと」のことを考えますか?

そうですね。今が幸せだからいいというわけではないですよね。いつも、心の幸せや充足感があって「生きる」ということなのかなと思っています。手に負える生活をしたい、今も将来も…と考えます。将来のことが決まっていないというのは手に負えない状態になってしまいますよね

特に息子はひとりで生きていくことが難しいので、将来、預かってもらう先はどこになるのだろうと考えます。遠方や他県になったら、面会をはじめ、妹の桜生も含めて、生活はどうなってしまうのだろうと思うのです。将来が自分の手に負えなくなってしまいそうで不安しかないです。

良子さん(母)
良子さん(母)

いつ頃から、自分がいなくなった後のことを考え始めましたか?

学齢期になってから、学校の先どうなるんだろうと思い始めました。幼児期は、その日その日に追われて過ごしていました。緊急入院や日頃のケア、妹の誕生など、その日のことだけで精一杯なので、先のことはなかなか考えられませんでした。障がいのある子を育てる親はそういう人が多いのではないかと思います。

学校に入学すると、学校へ行っている間、ちょっとだけ考える時間ができてくるのです。すると「はて…18歳のあとはどうなるのだろう」と考えるようになり、いずれ、私たちはおじいちゃんやおばあちゃんになり、本人もおじさんおばさんになっていく、必ずケアができなくなるときが来る…と、当たり前のことですが、当たり前のことに焦り始めるのです。そこからですね、藤沢でこれからも本人は暮らしていけるのかな?と考えるようになったのは。

良子さん(母)
良子さん(母)

調べてみると、どうだったのでしょうか?

いくつかの壁がありました。医療的ケアの必要な子なので、病院などが併設されている入所施設を探したのですが、私たちの住む藤沢市を含む、湘南東部圏域には公的機関として入所できる療養介護施設は0箇所なのです。

先輩方に話を聞いていくと、施設が見つからず、千葉県や三重県の施設に入ったという話も聞き、不安は増すばかりです。遠方でも入れれば良い…とは思えず、私たちも老いて弱っていくのに、遠方に預けに行くことや面会に行くという日常はきついのではと気づきました。また、たとえ入所できても、親が亡くなった後も入所し続けられるのかも心配です。将来のことなので、何も保証された話がないというのは本当に不安なことです。

娘が定期的に会いに行く担当になってしまうのか、息子も慣れ親しんだ地域から離れるのは不安だろうと、次々といろいろな不安が出てくるのです。

良子さん(母)
良子さん(母)

藤沢市内には住めないという想定ですか?

県の方針もあり、療養介護施設で暮らす方法以外に、グループホームなどをどんどん招致して市内で住めるようにという話も聞きます。しかし、それもどうなっていくのか分からない情報です。障がい者といっても、医療的ケアの有無など、状況は人によって違うので、ケア依存度の高い重度の人が入所しにくい現状もあります。

「軽度ならOKだけど、看護師さんの対応がある方はごめんなさい」と言われてしまうと、うちの息子は難しいです。ケア依存度が高い人ほど、家で限界までケアをして倒れるまでみる、それでダメならその時に空いている施設に入る…という感じなのかなと。やはり、この地域にも多機能型療養介護施設をつくってもらえたらと思います。

良子さん(母)
良子さん(母)

グループホームと訪問看護という組み合わせでは難しいのでしょうか?

グループホームが医療的ケアにどこまで対応してくれるのか、ノウハウやスキルの差など、療養介護施設のように保証されてはいないのかなと思っています。

うちの息子は今は胃ろうと気切(気管切開)で、就寝中は酸素を気切のところに取り付けるくらいで済んでいますが、今後どうなるかと思っています。今は成長期ですが、その成長期が終わったら、どこから機能的な衰えが出てくるかなと心配があります。いつか日中も酸素をつなぐようになったとき、そのケアがあっても預かってくれる場所はあるのだろうかと。そこが見えないと、安心して死ねないですね。

良子さん(母)
良子さん(母)

見える安心した未来がないことが1番不安ですよね。

隣の横浜市では、介護施設に、医療的ケアが必要な人が通院できる場所が併設されている施設もあります。中には、外来やリハビリもあって、宿泊や居住ができる場所もあります。

ただし、市民しか使えないなど条件があるのです。療養介護施設もそうですが、住んでいるエリアによって使用できる、できないがあるので、複雑な気持ちになります。

良子さん(母)
良子さん(母)

障がいに限らず、どのようなサービスも地域差が出てしまうのは理解はできるけど、どう納得したらいいか分からなくなりますよね。

藤沢市は規模も大きい市ですし、子育てしやすいランキングなどにも入っている。だけど、どんな子が生まれてきても、本当に子育てしやすいのかなと感じています。

藤沢市に暮らしながら、将来、入所できる公立の施設がないという現実を目の当たりにして、どんな子が生まれても安心できる街ではないのではと正直感じてしまうのです。

良子さん(母)
良子さん(母)

先の不安を相談できる場は藤沢市にあるのですか?

藤沢市に相談するというよりも、日中通っている場所や訪問看護師さんに話しますね。やはり個別に生活をみてくれている方のほうが状況を分かってくれているから話しやすいというのがあります。

ただそれも横に繋がっている訳ではないので、その場の相談で完結してしまう感じです。何か1冊のノートを作って、みんなで回して見られたらいいのかなと思いますが、なかなか個人の力では、そこまで活動的に動くことができないので悔しいなと思います。

良子さん(母)
良子さん(母)

それぞれの家庭が、個別に動くことが多くなってしまう感じですね。

情報格差というか、狭い世界ですね。本人も家族も疲れ切ってしまい「もう私はいい…」と全部を抱え込んでいる姿も見たことがあります。そうすると、親同士であっても踏み込みにくくなるので、その家庭と疎遠になってしまうこともあります。

一緒に何かやっていきたいし、情報を知っているだけで楽になれたり、手続きをすれば払わなくていいものもあったり…だけど、踏み込みにくくなると、そういう一つ一つが親同士のネットワークでは伝えきれず、知らないことでさらに大変になるという、それぞれの格差になっているように思います。

良子さん(母)
良子さん(母)

夏生くんはレスパイトへ行ったり、施設の方など新しい人と会うのは好きですか?

慣れてしまえば、好きですね。笑っていないから楽しくないわけではなく、ドキドキしちゃって真顔になっているだけで、家に帰ってくるとニヤニヤするということがよくあります。

親としては、さっき笑えば、その笑顔、写真に写ったのに!と思うくらい(笑)

良子さん(母)
良子さん(母)

家に帰ってくるとすごく笑いますね。人前だとそんなに笑わないのですが、家に帰ってきてホッとすると、思い出し笑いがすごくて、楽しかったんだなと思いますね。

崇之さん(父)
崇之さん(父)

富永家は、これからどのように生きていきたいですか?

それぞれがハッピーに、ですね。我慢はしないでほしいなと思います。小さい頃、夏生が突然入院になることが多々あったので「入院になったから待っててね」と、桜生にお願いすることがありました。苦労と思っているかは分からないのですが、桜生も春から高校生なので、自分の進みたい道を羽ばたいてほしいなと思っています。

良子さん(母)
良子さん(母)

夏生の場合は、成長とともにいろんな手術が必要になり、介護や医療的ケアがどんどん上乗せされていきました。それに伴い、自分も勉強をしてスキルアップしてきました。夏生や桜生もそうですけど、自分らしく人生を全うできるような環境を整えたいなというのがすごくあります。

ただ、これは僕が一人で頑張っても叶わなくて、自分が倒れてしまったら、その途端にその環境は壊れてしまいます。できることなら、やはり地域でそういうシステムが整い、地域でみていけるような社会にしていきたい。そのために、自分も少しずつでも働きかけができたらいいなと思っています。まだまだ勉強中ですけれど。

崇之さん(父)
崇之さん(父)

ずっと小さい頃から考えていました。兄は将来どうなるのだろう、小学校・中学校・高校までは学校へ行っているけれど、成人したらどこ行くのだろう?と。今、兄は日中にいろいろなところに行っているけれど、将来は、結局、みる人は私ぐらいしかいないのかなとも思います。

何か体制が整っていたら不安も少なくなるのだろうけど、今は、これからのことが不安でしかないです。兄をみるのが嫌だとかそういう意味ではなく、安心できるものがないので、結局、このあとどうなっていくのだろうと思っています。

桜生ちゃん
桜生ちゃん

取材中は寝ているようで、実は寝ていない夏生くん。僕のことを話しているな…と、チラッチラッ

夏生くん
夏生くん

インタビューを終えて

将来をどう生きられるのかという漠然とした大きな不安。富永さんが所属する藤沢市肢体不自由児者父母の会では、藤沢市と「多機能型療養介護施設の設置を考える意見交換会」を長年実施しています。

暮らし方は、療養介護施設に限らず、時代の変化とともにさまざまな形が生まれ、それが本人の選択肢になることは大切なこと。ただそれが漠然としたものではなく「見える安心」として、そこにあるのかどうかが大事なのだと思います。「将来が見えなくて死ねない」と不安になる社会ではなく「家族と長く生きたい」と、シンプルな想いを先に抱けるような社会にしていきたいなと思うのです。

「私と兄と、家族のミライ」

桜生ちゃんの人権作文「私と兄と、家族のミライ」を読みたいと思った方も大勢いるのではないでしょうか?富永パパである崇之さんのブログで作文を読むことができます。作文に続く、崇之さんの想いもぜひお読みください。

桜生の作文に「私達の姿を見てもらう事には力があります」とあるのですが、まさにそうだなと思います。これまでのわが家の20年間は「財産」です。この財産を、同じ境遇の皆さんと共有したい、そして当事者ではない皆さんにも広く知ってもらう事で、今後確実に増え続けていく医療的ケア「児」から「者」になっていく、当事者の皆さんとの未来をご一緒に考えていきたいです。これは全国的な社会課題です。

当事者ファミリーの現実を知ってもらう事で、ひとつでも多くの医療的ケア対応のグループホームや施設の設置へとつながってくれればと願っています。「知ってもらい、地域や社会に働きかける事」これが、二十歳になった夏生にできる社会人としての社会的な働きだと思っています。どんな人にもやさしい世の中になりますように。 富永良子(母)

WRITER

小川 優

大学で看護学を学び、卒業後は藤沢市立白浜養護学校の保健室に勤務する。障がいとは社会の中にあるのでは…と感じ、もっと現場の声や生きる命の価値を伝えたいとアナウンサーへ転身。地元のコミュニティFMをはじめ、情報を発信する専門家として活動する。

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