コラム

外出自粛がもたらす、家族との距離

家族との距離を考えてみる

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みなさん、こんにちは。小川優です。

今回は、家族との距離感について。

緊急事態宣言が全国に広がり、「外出自粛」という言葉も当たり前になってきました。

大人も子どもも家の中で過ごす時間が多くなり、距離感が縮まっています。みなさんのご家庭の中はどんな様子でしょうか?

意外と喧嘩も少なく、和気あいあいとやっていますという声もありますが、これがずっと続くとなると厳しいという声もあります。おそらく、外出自粛の要請はまだ続くでしょう。

どうしたら、気持ちよく、家の中で過ごせるのか、考えていきましょう。

人と人の間には、「物理的距離」と「精神的距離」の2つが存在しています。

これは新型コロナウイルス感染症に関わらないのですが…たまに、電車の中でぐっと隣の人との距離が近くなると不快感を覚えたり、近くで会話をされると一歩離れてほしいと感じたりすることはありませんか?これが「物理的距離」が近づきすぎてしまった例です。「精神的距離」は、心の距離なので、隣にいる友達の気持ちが見えなくなって不安に思ったり、逆に、放って置いてほしいときに、ぐいぐいと悩みを聞かれたりしてしまうような、そのような心と心の距離のことをいいます。

外出自粛を強いられることで、みなさんの「物理的距離」は近づいています。そうすると、神的距離」も近くなるのは当たり前。いろいろな感情の動きも近くで見えます。すると、はじめは安心感につながることもあるのですが、人はどんなに仲が良くても違う生き物です。なので、気になることが出てきます。イライラすることも出てきます。「そう、あなたのそういうところずっと嫌いだったの!」

人は誰でも、自分の大切なスペースを自分の近くにつくっています。パーソナルスペースは自分が自分らしくいられる、誰にも脅かされない安全な場所。「物理的距離」が近づいた今、私たちは無意識のうちに「精神的距離」も近づいてしまっています。

私が話を聞く中で、こんなことがありました。

親としては愛情表現、子どもとしては過干渉。お互いに距離感をもつことを目標にしていたのですが、今回のコロナウイルス対応で休業となり、子どももアルバイトが休みになりました。「仕事は私の居場所だったんです。それがなくなることもつらいし、せっかく子どもとも距離を置けたのに…怖い」と。これはおそらく、お互いに思っていること。「怖い」という言葉の重みを感じました。ただ、「より一層、距離を置かなくては」と気づきながら、この外出自粛を迎えられたことで、少し違うのではないかなと思うのです。

頭で分かっているからできる、ということではありません。でも、何も想定せず向かうよりも、少しでも距離感に影響を受けることを予測できるのは、違うのではないかと。

一歩遠くへ、それは淋しいことではありません。大事な家族を大切にする方法として、心の距離感をとるということを大切にしていきたいですね。いつもだったら気にならないことも気になってしまう、そういう自分になることに、寛容になってほしいと願います。

あなたの周りの空間、そして、大切な家族の周りの空間、気持ちの良い風が通るように、一歩遠くへ離れて過ごしたいですね。

WRITER

小川 優

大学で看護学を学び、卒業後は藤沢市立白浜養護学校の保健室に勤務する。障がいとは社会の中にあるのでは…と感じ、もっと現場の声や生きる命の価値を伝えたいとアナウンサーへ転身。地元のコミュニティFMをはじめ、情報を発信する専門家として活動する。

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