コラム

社会の中にある「壁」は必要だろうか

今月のオンラインイベントのテーマでもあった「壁」について、私も考えてみたいと思う。

壁は隔たりである

私たちは社会の中で「違い」を見つけては、分類し、壁をつくり、隔たりをつくってしまう。「わたしとあなたは違う」、そう思うことで関係が途切れてしまうことがある。違うことは数えやすい。髪の色や肌の色など見た目から生まれる壁もあるが、私が思う大きな壁は、同じ人間であることを忘れてしまうような「わたしとあなたは違う」である。

行動が理解できない、生活スタイルが違いすぎる、同じ人間だと思えない。自分の考える「普通」から逸脱していることを受け入れる方法が「壁をつくる」ということなのだと思う。隔たりは、考えるのをやめる瞬間になる。同じ地域の中に暮らしていても、自然と見えなくなっていく。隔たりはどうしたらなくなるのだろうか。

壁は「わたし」を守るもの

壁は、悪ではない。隔たりとしての壁はできればなくしたいと願うものの、生きるために必要な場合もある。理解できないもの、受け入れられないものと出会ったとき、自分を守るためにも「わたしとあなたは違う」を上手く使うことは必要だ。人はすべてを受け止められるほど、完璧にはつくられていない。自分のアイデンティティを守るという意味でも、一定の隔たりを自分でつくることは必要になると思う。

危害を加えていないからいいのだろうか。壁をつくっているだけで、相手を傷つけていない。本当にそうだろうか。守るための壁は必要だが、隔たりは相手を傷つける。多くの人が行き交う中で、自分が透明人間のように扱われたらどうだろう。他の人は避けられていないのに、自分だけ避けられたら、どう思うだろう。

壁にアナをあける

壁は必要だが、なくしていきたいもの。矛盾するような世界観を「アナをあける」という方法に、私はゆだねる。完全に見えない壁ではなく、アナをあけて、少し見えるようにしたい。自分とは違うから相容れないと思っていたことも、少し見てみると「なんだ、一緒だったのか」と気づけることがある。人は理解できたり、似ていると感じたりするとき、安心するものだ。

私たちは偶然にも、同じ時代に、同じ空間で生きている。違いを数えて、壁をつくって安心するのではなく、同じを探して、壁がなくても安心できる生き方を考えていきたい。壁に少しアナがあけば、自分を守りながら、自分のタイミングで見て感じることができる。そういう緩やかな動きを大事にしたい。

WRITER

小川 優

大学で看護学を学び、卒業後は藤沢市立白浜養護学校の保健室に勤務する。障がいとは社会の中にあるのでは…と感じ、もっと現場の声や生きる命の価値を伝えたいとアナウンサーへ転身。地元のコミュニティFMをはじめ、情報を発信する専門家として活動する。

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